ラブ・ソング探して(2)
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こんばんは✨シズカです🎸
次回の出勤は
🗓4/2からの何日間か……を予定しております。
タイミング合いそうな方はぜひ、遊んでくれよな!
・
・
・
「シズカさんみたいに一筋縄ではいかなそうな人って、何にキュンとくるんですか」
的な質問をちょいちょい受けるので🤔
あたいの女心のFコードをがっつり押さえてくるラブ・ソングについて。
ロック・ファンとして紹介したい、優れたラブ・ソングについて(こっちの動機が八割)、シリーズ形式で語りたいと思います。
💌ナンバーガール「TATTOOあり」
顔でも輪郭でも名字でも名前でもなく。朝焼けの中で見た、刺青が入っている右肩にハッとしたことだけを憶えてる。
断片的な記憶がトリガーになって、過去の恋愛が鮮烈に蘇ること、あるよね。
川端康成が「雪国」で
「この指だけが、かつて愛した女を生々しく覚えている」
「ぼやけてゆく記憶の中で、この指だけは女の触感で今も濡れている」
と書いていて、噎せ返るようなエロティシズムにくらくらしたのを思い出します。乳房も臀部も生殖器も出てこないのに、このどエロさよ。
閑話休題。
「実らなかった恋にも、ちゃんと実ができている」という言葉がございますが、実らなかった恋、終わった恋が人生に残した傷やら瘤やら節くれ。
その瘤や節くれが逆に、人生に趣きをもたらすことも多々あるのよな。鯛で言うたら鳴門骨や。
「TATTOOあり」は、冷凍都市の暮らしおじさんa.k.a向井秀徳の実体験に基づいているそうです。
失恋がもたらした喪失感を突き詰めた向井秀徳は「今に見ておれ!俺はやったる!」と言う境地に達し、やるせない気持ちをどうにかするために曲作りに励んだ、とインタビューで語っています。
刺青の彼女と結ばれていたら、ナンバーガール畢生の名曲「TATTOOあり」は生まれていなかったわけで。
向井秀徳は「諸行無常」と言うキーワードをよく用いるんですが、ナンバーガールの曲全ての通常低音として流れている寂寥感がどうにもこうにも身につまされるのは、剥き出しの諸行無常を突きつけられるから、だと思っています。ナンバーガールの曲全てが「この世の無常節」なのです。
「今、この瞬間にしかない」
「あの時にしか無かった」
って空気感を曲に落とし込むセンスが凄まじいのよな。「IGGY POP FAN CLUB」も切ない名曲なんだよな。
意外と、人間が走馬灯に見るのは、この世で自分しか覚えてないような、記憶の残像の切れ端なのかも知れなくて。
次回の出勤は
🗓4/2からの何日間か……を予定しております。
タイミング合いそうな方はぜひ、遊んでくれよな!
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「シズカさんみたいに一筋縄ではいかなそうな人って、何にキュンとくるんですか」
的な質問をちょいちょい受けるので🤔
あたいの女心のFコードをがっつり押さえてくるラブ・ソングについて。
ロック・ファンとして紹介したい、優れたラブ・ソングについて(こっちの動機が八割)、シリーズ形式で語りたいと思います。
💌ナンバーガール「TATTOOあり」
顔でも輪郭でも名字でも名前でもなく。朝焼けの中で見た、刺青が入っている右肩にハッとしたことだけを憶えてる。
断片的な記憶がトリガーになって、過去の恋愛が鮮烈に蘇ること、あるよね。
川端康成が「雪国」で
「この指だけが、かつて愛した女を生々しく覚えている」
「ぼやけてゆく記憶の中で、この指だけは女の触感で今も濡れている」
と書いていて、噎せ返るようなエロティシズムにくらくらしたのを思い出します。乳房も臀部も生殖器も出てこないのに、このどエロさよ。
閑話休題。
「実らなかった恋にも、ちゃんと実ができている」という言葉がございますが、実らなかった恋、終わった恋が人生に残した傷やら瘤やら節くれ。
その瘤や節くれが逆に、人生に趣きをもたらすことも多々あるのよな。鯛で言うたら鳴門骨や。
「TATTOOあり」は、冷凍都市の暮らしおじさんa.k.a向井秀徳の実体験に基づいているそうです。
失恋がもたらした喪失感を突き詰めた向井秀徳は「今に見ておれ!俺はやったる!」と言う境地に達し、やるせない気持ちをどうにかするために曲作りに励んだ、とインタビューで語っています。
刺青の彼女と結ばれていたら、ナンバーガール畢生の名曲「TATTOOあり」は生まれていなかったわけで。
向井秀徳は「諸行無常」と言うキーワードをよく用いるんですが、ナンバーガールの曲全ての通常低音として流れている寂寥感がどうにもこうにも身につまされるのは、剥き出しの諸行無常を突きつけられるから、だと思っています。ナンバーガールの曲全てが「この世の無常節」なのです。
「今、この瞬間にしかない」
「あの時にしか無かった」
って空気感を曲に落とし込むセンスが凄まじいのよな。「IGGY POP FAN CLUB」も切ない名曲なんだよな。
意外と、人間が走馬灯に見るのは、この世で自分しか覚えてないような、記憶の残像の切れ端なのかも知れなくて。