
俺……行くよ

前回までの詳しい話は前回のガンダム日記を見てもらうとして…
ニュータイプとは決してオカルトじみた力を持つ人間のことではなく、家族や隣人を大切にする人のこと
ニュータイプを神として描くのはタブー
この結論を踏まえて「機動戦士ガンダムUC」でニュータイプ論がどのように描かれたのかを一緒に見てみましょう
「機動戦士ガンダムUC」EP7ラストの戦い、つまりTV版「RE:0096」では第22話の話になります
コロニーレーザーを止めるために、バナージはユニコーンガンダムのサイコフレームの力を限界まで高めてバリアを張るのです
このバリア自体は「機動戦士Zガンダム」でも似たものが描かれてたのは皆さんご存知の通り
そして無事にバナージはコロニーレーザーを止めます
(正直この時点で大分人間離れしていると個人的には思いますが…)
問題はこの後
ユニコーンガンダムが指示するかのように手をふると、敵味方問わずMSが自動で武装解除をするのです
こんなタイミングでMSが武装解除を行うなんて普通に考えたら有り得ない話
福井さんいわくこの時のバナージはサイコフレームと一体化している状態とのこと
(もう半分人間やめてると言っても過言ではないやつ…)
つまり、意識だけで好きな場所に行くことが可能となり、アクシズ・ショックも簡単に起こすことが可能という状況
それはもうニュータイプ能力を高めれば、人は神にも近しい存在へとなりかわれるということに等しいのです
このことの何がいけないのかというと、結局戦争を解決するのは人の力ではなく、神の力が必要になってしまうということになるから
ガンダム作品の1番の魅力は登場人物それぞれに深いドラマがあり、戦争という特殊な状況下でも人と人が分かり合える瞬間を描いている部分が大きいのです
そのような過酷な状況下でも心を通わせる瞬間を描くことで、人間は争わなくても生きていけるという人間賛歌が作品の根底にあるのです
それなのに、ニュータイプが人類からかけ離れ神に近い存在であると描いてしまうと、結局人間が悩んで悩んで悩み抜いて解決しようとしている戦争が終わらないという現状はニュータイプに頼んで武装解除してもらえばいいじゃないか…となってしまうわけです
それは人と人が分かり合う世界と言えるのか…
それは富野さんが望んだ世界観とは違うのではないか…
だから、これまでのガンダムシリーズでも戦争の解決策として神のような人智を超える力に頼るようなことはしなかったのではないでしょうか
なんて真面目に考察していたら予定以上に長くなってしまったので
またまた続きは次回以降の日記にて
どんどんマニアックになっていくガンダム日記は本当に分かる人にしか分からないやーつの究極版になっていますね
自覚あり
では
next 他のガンダムシリーズでの人と人とが分かり合うには…
成功例を見てみたい
でお会いしましょう