文明崩壊後の砂漠でヒャッハーするのが俺の人生だった
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こんばんは✨マッド・マックス大好きおばさんです🏍
突然ですが、この世の人間は大きく二分することができます。
カーチェイス映画を楽しめる人間と、そうでない人間です。
前者は更に二分できます。
「マッド・マックス」派と「ワイルド・スピード」派です。
両者の美意識には、たけのこ派ときのこ派、地動説派と天動説派、邪馬台国所在地論争における、北九州説派と畿内大和説派のように、深い隔たりがあります。
ちなみに「マッド・マックス」が好きな人はだいたい、プロレスとヘヴィメタも好きです。
Yes!I am!!
私は前作「怒りのデス・ロード」が一番好きなのですが「追われる・追いかける」という、至ってシンプルな構造なのに、それで2時間飽きさせない力業。
映画評論家の町山智浩さんは「ストーリーが、ないんです!」「2時間ずっとクライマックスなんです!」と仰っています。
ロックで言ったら、キャッチーなリフの連続だけで2時間ライブ敢行する、みたいなノリです。
八宝菜の上のうずらの卵だけを集めて、どんぶり一杯にしたようなノリです。
町山智浩ファンの方が
「お願いします。一刻も早く、『マッド・マックス フュリオサ』公開して下さい。でないと、町山智浩が落ち着いた上品おじいさんになってしまう」
と懇願していて、マッド・マックスがカンフル剤みたいな扱いされてるのにワロタ。
公開中のシリーズ最新作「マッド・マックス フュリオサ」、もちろん、映画館で見てまいりました🎞😊
本作は「追う・追われる」に「略奪する・略奪される」が付加されてはいるものの、物語の通奏低音は、前作「怒りのデスロード」を踏襲したものとなっています。時系列的には、女戦士フュリオサがイモータン・ジョーの支配下で警備隊長に上り詰めるまでの前日譚です。
「マッド・マックス」シリーズの基礎知識ですが、シリーズ1作目は町のおまわりさんと道交法を守らない奴らの小競り合いなんですが、2作目でいきなり、文明が崩壊します。道交法と言う概念自体、吹き飛びます。
よって、レディオヘッドにおける「OKコンピューター」以降、DIR EN GREYにおける「VULGAR」以降くらい、世界観が変わります。
ここで疑問を抱いてしまうと、シリーズのスピード感についていけなくなるので、とりあえず深く考えず、受け入れて下さい。
町田町蔵歌うところの「オマエの頭を開いてちょっと気軽になって楽しめ」の精神で受け入れて下さい。
考えるな、感じろ。
・
・
・
以下、「マッド・マックス フュリオサ」感想
⚠ネタバレあり
🏍私が映画から学んだ「人生で、できれば使わずに済みたいライフハック」の一つが「出血の多い銃創はアイロンで焼いて止血する」(from「処刑人」)なのですが、今作鑑賞後、新たに「バイクで誘拐されたら口でガソリンホースを食いちぎる」が追加されました。
🏍警備隊長のジャックが、ええ男なのよ。
フュリオサにとって、ジャックは初めて自分を、道具でも所有物でもなく「人格と能力のある一人の人間」として認めてくれた男性だったわけです。
彼と信頼関係を築くことができたからこそ、フュリオサは、男性に対する信頼を捨てきらずにすみ、後にマックスに協力することに繋がったのだと思います。
🏍人間が人を痛めつけようと思った時、真っ先に思いつくのは、自分がされたら嫌なこと、だと言います。
だから、攻撃されたら脊髄反射で傷ついてあげるのではなく「あら、聞いてもいないのに、自分の弱点を教えてくれてありがとう!」と思っておけばよろしい。
フュリオサが、母の仇、ジャックの仇であるディメンタス将軍に対して実行した復讐方法は……
故郷から持ってきた果実の種の苗床にして、ひたすら、養分を吸い上げ続ける、と言うもの。
「幽遊白書」の躯の復讐を彷彿とします。
彼女たちが与える最も重い罰は、死よりも「生きて苦しみ続けること」。
それは、彼女たちにとって「これまで生きてきたこの世が何よりの地獄だ」と言う裏返しであるわけで、マッド・マックスの世界の過酷さを端的に表現してますね。
🏍今作は、フュリオサが子産み女たちと共に、イモータン・ジョーの砦から脱出するシーンで締め括られています。
ここから、前作「怒りのデスロード」に繋がるわけですね!
今作を見てから、もう一度「怒りのデスロード」が観たくなって、再鑑賞したのですが、フュリオサの行動や表情、言葉の意味、フュリオサの帰還を出迎えた鉄馬の女たちの思いetc.が、一段深く理解できて、とても良かった。
🏍ジョージ・ミラー監督にはまだ、シリーズ続編の構想があるらしいですが、イモータン・ジョーが文明崩壊後、一介の軍人から、支配者になった経緯とか描いてほしいなぁ。
突然ですが、この世の人間は大きく二分することができます。
カーチェイス映画を楽しめる人間と、そうでない人間です。
前者は更に二分できます。
「マッド・マックス」派と「ワイルド・スピード」派です。
両者の美意識には、たけのこ派ときのこ派、地動説派と天動説派、邪馬台国所在地論争における、北九州説派と畿内大和説派のように、深い隔たりがあります。
ちなみに「マッド・マックス」が好きな人はだいたい、プロレスとヘヴィメタも好きです。
Yes!I am!!
私は前作「怒りのデス・ロード」が一番好きなのですが「追われる・追いかける」という、至ってシンプルな構造なのに、それで2時間飽きさせない力業。
映画評論家の町山智浩さんは「ストーリーが、ないんです!」「2時間ずっとクライマックスなんです!」と仰っています。
ロックで言ったら、キャッチーなリフの連続だけで2時間ライブ敢行する、みたいなノリです。
八宝菜の上のうずらの卵だけを集めて、どんぶり一杯にしたようなノリです。
町山智浩ファンの方が
「お願いします。一刻も早く、『マッド・マックス フュリオサ』公開して下さい。でないと、町山智浩が落ち着いた上品おじいさんになってしまう」
と懇願していて、マッド・マックスがカンフル剤みたいな扱いされてるのにワロタ。
公開中のシリーズ最新作「マッド・マックス フュリオサ」、もちろん、映画館で見てまいりました🎞😊
本作は「追う・追われる」に「略奪する・略奪される」が付加されてはいるものの、物語の通奏低音は、前作「怒りのデスロード」を踏襲したものとなっています。時系列的には、女戦士フュリオサがイモータン・ジョーの支配下で警備隊長に上り詰めるまでの前日譚です。
「マッド・マックス」シリーズの基礎知識ですが、シリーズ1作目は町のおまわりさんと道交法を守らない奴らの小競り合いなんですが、2作目でいきなり、文明が崩壊します。道交法と言う概念自体、吹き飛びます。
よって、レディオヘッドにおける「OKコンピューター」以降、DIR EN GREYにおける「VULGAR」以降くらい、世界観が変わります。
ここで疑問を抱いてしまうと、シリーズのスピード感についていけなくなるので、とりあえず深く考えず、受け入れて下さい。
町田町蔵歌うところの「オマエの頭を開いてちょっと気軽になって楽しめ」の精神で受け入れて下さい。
考えるな、感じろ。
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以下、「マッド・マックス フュリオサ」感想
⚠ネタバレあり
🏍私が映画から学んだ「人生で、できれば使わずに済みたいライフハック」の一つが「出血の多い銃創はアイロンで焼いて止血する」(from「処刑人」)なのですが、今作鑑賞後、新たに「バイクで誘拐されたら口でガソリンホースを食いちぎる」が追加されました。
🏍警備隊長のジャックが、ええ男なのよ。
フュリオサにとって、ジャックは初めて自分を、道具でも所有物でもなく「人格と能力のある一人の人間」として認めてくれた男性だったわけです。
彼と信頼関係を築くことができたからこそ、フュリオサは、男性に対する信頼を捨てきらずにすみ、後にマックスに協力することに繋がったのだと思います。
🏍人間が人を痛めつけようと思った時、真っ先に思いつくのは、自分がされたら嫌なこと、だと言います。
だから、攻撃されたら脊髄反射で傷ついてあげるのではなく「あら、聞いてもいないのに、自分の弱点を教えてくれてありがとう!」と思っておけばよろしい。
フュリオサが、母の仇、ジャックの仇であるディメンタス将軍に対して実行した復讐方法は……
故郷から持ってきた果実の種の苗床にして、ひたすら、養分を吸い上げ続ける、と言うもの。
「幽遊白書」の躯の復讐を彷彿とします。
彼女たちが与える最も重い罰は、死よりも「生きて苦しみ続けること」。
それは、彼女たちにとって「これまで生きてきたこの世が何よりの地獄だ」と言う裏返しであるわけで、マッド・マックスの世界の過酷さを端的に表現してますね。
🏍今作は、フュリオサが子産み女たちと共に、イモータン・ジョーの砦から脱出するシーンで締め括られています。
ここから、前作「怒りのデスロード」に繋がるわけですね!
今作を見てから、もう一度「怒りのデスロード」が観たくなって、再鑑賞したのですが、フュリオサの行動や表情、言葉の意味、フュリオサの帰還を出迎えた鉄馬の女たちの思いetc.が、一段深く理解できて、とても良かった。
🏍ジョージ・ミラー監督にはまだ、シリーズ続編の構想があるらしいですが、イモータン・ジョーが文明崩壊後、一介の軍人から、支配者になった経緯とか描いてほしいなぁ。