「新解釈・三国志」に対する私的解釈
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こんばんは✨
三国志大好きおばさんだお(^ω^)
本日も一緒に過ごして下さった皆さん、ありがとうございました☺️✨
三国志好きな方にお呼び頂いた際、ちょくちょく聞かれるのが「映画の『新解釈・三国志』ってシズカさん的には、どうなんですか?」です。
ロック好きの民に度々聞かれる「ボン・ジョヴィってロックなんですか?」と同じくらい、答えづらい質問なのですが、お答え致します。
📜以下、「新解釈・三国志」ネタバレあり📜
あくまでも、 正統派ルートで三国志を履修した人間が、味変として楽しむ、と言うのが、ベストな楽しみ方ではないか?と思います。
映画で三国志見るんだったら「レッドクリフ」見てから見て下さい。お願いします(ジャンピング・ジャック・フラッシュ五体投地土下座)。
ワタクシは、映画鑑賞のお作法として、町山智浩・淀川長治 両氏をお手本にしています。
淀川先生は、映画に対して本当に愛情深い方で「どんな映画にも必ず一つは良い所がある」と言う見方で評論なさっていました。
「新解釈・三国志」における良い所。それはタイトルに「新解釈」とある通り、斬新なキャスティングの中に、非常に的を射た解釈が見受けられる所です。
📜呂布=城田優
どうしても我々日本人は、三国志のキャラデザのイメージが、横山光輝に作られてしまっている感が否めないんですよ。
横山三国志の呂布のイメージが強すぎるから、それを下敷きにすると、呂布=城田優だとキレイなジャイアンならぬキレイな呂布、って感じがして違和感を覚えます。
しかし、呂布の生まれたとされる土地から推測するに「コーカソイドの血が入っていたのでは?」と言う説が提唱されています。城田優風の彫りの深いハーフ顔であった可能性は大いにあるのです。230cmあった、と言う身の丈もコーカソイドの遺伝子由来だと考えると腑に落ちます。
📜貂蝉=渡辺直美
計略のために、呂布と董卓を手玉に取り、仲違いさせた絶世の美女。
美食を極めた人間が行きつく先は何か。珍味であります。
贅の限りを尽くした古代ローマ貴族たちは、一通りの美食を追及しきった後は、
「いかに珍しい食べ物を饗するか」で己の権力・財力を誇示したそうな。
呂布・董卓のように、美女を喰らい放題の地位にいた人間は、もう、ありきたりの美人では、チンともスンとも言わなくなっていた、と考えても不思議ではありません。
最終的に行き着いたのが、ナオミのように自己肯定感高め&自己プロデュース力のある個性派女子だった、と言う解釈は一理あるんです。
俗に言う「フッ……、おもしれー女」現象ですね。
📜劉備玄徳=大泉洋
三国志と関わりの深いテキストと言えば「孫子の兵法」。
余談ですが、現在、私たちが触れている「孫子」は、曹操孟徳が註釈を加えたもの。つまり、我々は「孫子~曹操孟徳リミックス~」を「孫子」だと思って読んでいる、と言うわけです。
「孫子の兵法」は、本来は、戦いを推奨するものではなく、あくまでも「戦いを免れなかった時のガイドライン」であります。
いの一番に書かれているのは
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
「百回戦って百回勝つことが最善ではない。戦わないで戦いを収めることが最善の策なんだよ」と言う意味ですね。
国同士の諍いを収める手段は戦闘だけではない。敵をどのくらい倒すか、と同じくらい、味方にどのくらい損害が出るかを考えなさい。なるべくなら「戦う」以外のコマンドを選択して敵を攻略しなさい。と言う前提条件があった上での、ケース・スタディ テキストなのであります。
「新解釈・三国志」で大泉洋が演じる劉備玄徳は戦嫌い。勇猛果敢じゃないし優柔不断。いつもへっぴり腰で一見頼りなく、どうにかこうにか戦いを避けようとする。戦いになれば、仲間も必ず傷つくから。敵であろうと味方であろうと、民を殺すより、民を死なせない方法を考える人間でなければ、民の集合体である国を平和に治めることはできない。戦嫌いの人間にしか平和な世は作れない。
「新解釈・三国志」における劉備玄徳の人物造形は「孫子」で説かれている「最善の為政者」そのものなんですよね。
曹操孟徳のような強烈なリーダーシップではなく、人柄の取っつきやすさで人を抱き込んでいく劉備玄徳。ここに大泉洋をキャスティングしたのは、ナイス采配だと思う。「水曜どうでしょう」みたいな毎日が、のんべんだらりと続いていくのが、民にとっては最善の世なんですよ。
私は常々、「曹操孟徳では諸葛亮を口説き落とせなかった」と語っているのですが、諸葛亮・関羽・張飛が「自分がこの人のために力になりたい」と自発的に思ってしまう人心掌握術。私はある意味、一番怖いのは劉備だと思っています。曹操の怖さはわかりやすい怖さなんですよね。
後世、記された「十八史略」において曹操は「乱世だったから活躍できた」と評されています。ワタクシは一番の推し武将が夏侯惇なので、魏贔屓ですし、イノベーションに特化した曹操孟徳のキャラクターも好きではあります。しかし、ニュートラルな視点で見ると、確かに、曹操のように好戦的な人間では、乱世の中での急成長・急進撃はできても、長い目で見ると、恒常的な大国の平定はできなかったのでは?と思います🤔
織田信長では江戸200年の太平の世を築くのは難しかったのでは?と思うのに似た理由です。
三国志大好きおばさんだお(^ω^)
本日も一緒に過ごして下さった皆さん、ありがとうございました☺️✨
三国志好きな方にお呼び頂いた際、ちょくちょく聞かれるのが「映画の『新解釈・三国志』ってシズカさん的には、どうなんですか?」です。
ロック好きの民に度々聞かれる「ボン・ジョヴィってロックなんですか?」と同じくらい、答えづらい質問なのですが、お答え致します。
📜以下、「新解釈・三国志」ネタバレあり📜
あくまでも、 正統派ルートで三国志を履修した人間が、味変として楽しむ、と言うのが、ベストな楽しみ方ではないか?と思います。
映画で三国志見るんだったら「レッドクリフ」見てから見て下さい。お願いします(ジャンピング・ジャック・フラッシュ五体投地土下座)。
ワタクシは、映画鑑賞のお作法として、町山智浩・淀川長治 両氏をお手本にしています。
淀川先生は、映画に対して本当に愛情深い方で「どんな映画にも必ず一つは良い所がある」と言う見方で評論なさっていました。
「新解釈・三国志」における良い所。それはタイトルに「新解釈」とある通り、斬新なキャスティングの中に、非常に的を射た解釈が見受けられる所です。
📜呂布=城田優
どうしても我々日本人は、三国志のキャラデザのイメージが、横山光輝に作られてしまっている感が否めないんですよ。
横山三国志の呂布のイメージが強すぎるから、それを下敷きにすると、呂布=城田優だとキレイなジャイアンならぬキレイな呂布、って感じがして違和感を覚えます。
しかし、呂布の生まれたとされる土地から推測するに「コーカソイドの血が入っていたのでは?」と言う説が提唱されています。城田優風の彫りの深いハーフ顔であった可能性は大いにあるのです。230cmあった、と言う身の丈もコーカソイドの遺伝子由来だと考えると腑に落ちます。
📜貂蝉=渡辺直美
計略のために、呂布と董卓を手玉に取り、仲違いさせた絶世の美女。
美食を極めた人間が行きつく先は何か。珍味であります。
贅の限りを尽くした古代ローマ貴族たちは、一通りの美食を追及しきった後は、
「いかに珍しい食べ物を饗するか」で己の権力・財力を誇示したそうな。
呂布・董卓のように、美女を喰らい放題の地位にいた人間は、もう、ありきたりの美人では、チンともスンとも言わなくなっていた、と考えても不思議ではありません。
最終的に行き着いたのが、ナオミのように自己肯定感高め&自己プロデュース力のある個性派女子だった、と言う解釈は一理あるんです。
俗に言う「フッ……、おもしれー女」現象ですね。
📜劉備玄徳=大泉洋
三国志と関わりの深いテキストと言えば「孫子の兵法」。
余談ですが、現在、私たちが触れている「孫子」は、曹操孟徳が註釈を加えたもの。つまり、我々は「孫子~曹操孟徳リミックス~」を「孫子」だと思って読んでいる、と言うわけです。
「孫子の兵法」は、本来は、戦いを推奨するものではなく、あくまでも「戦いを免れなかった時のガイドライン」であります。
いの一番に書かれているのは
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
「百回戦って百回勝つことが最善ではない。戦わないで戦いを収めることが最善の策なんだよ」と言う意味ですね。
国同士の諍いを収める手段は戦闘だけではない。敵をどのくらい倒すか、と同じくらい、味方にどのくらい損害が出るかを考えなさい。なるべくなら「戦う」以外のコマンドを選択して敵を攻略しなさい。と言う前提条件があった上での、ケース・スタディ テキストなのであります。
「新解釈・三国志」で大泉洋が演じる劉備玄徳は戦嫌い。勇猛果敢じゃないし優柔不断。いつもへっぴり腰で一見頼りなく、どうにかこうにか戦いを避けようとする。戦いになれば、仲間も必ず傷つくから。敵であろうと味方であろうと、民を殺すより、民を死なせない方法を考える人間でなければ、民の集合体である国を平和に治めることはできない。戦嫌いの人間にしか平和な世は作れない。
「新解釈・三国志」における劉備玄徳の人物造形は「孫子」で説かれている「最善の為政者」そのものなんですよね。
曹操孟徳のような強烈なリーダーシップではなく、人柄の取っつきやすさで人を抱き込んでいく劉備玄徳。ここに大泉洋をキャスティングしたのは、ナイス采配だと思う。「水曜どうでしょう」みたいな毎日が、のんべんだらりと続いていくのが、民にとっては最善の世なんですよ。
私は常々、「曹操孟徳では諸葛亮を口説き落とせなかった」と語っているのですが、諸葛亮・関羽・張飛が「自分がこの人のために力になりたい」と自発的に思ってしまう人心掌握術。私はある意味、一番怖いのは劉備だと思っています。曹操の怖さはわかりやすい怖さなんですよね。
後世、記された「十八史略」において曹操は「乱世だったから活躍できた」と評されています。ワタクシは一番の推し武将が夏侯惇なので、魏贔屓ですし、イノベーションに特化した曹操孟徳のキャラクターも好きではあります。しかし、ニュートラルな視点で見ると、確かに、曹操のように好戦的な人間では、乱世の中での急成長・急進撃はできても、長い目で見ると、恒常的な大国の平定はできなかったのでは?と思います🤔
織田信長では江戸200年の太平の世を築くのは難しかったのでは?と思うのに似た理由です。