AVとシン・ウルトラマンと私
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こんばんは✨シズカです😊
本日も一緒に過ごして下さった皆さん、ありがとうございました💕
世の中はカンヌ国際映画祭開催中🏆
三大映画祭の中では、カンヌが一番水が合うので、観たい作品がてんこ盛りです。
最近観た映画はカンヌ全く関係ないんですが。
先日、ワタクシ、やっと「シン・ウルトラマン」を観ました。
「シン・仮面ライダー」を見る前に「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」を履修しておこう🎥🤔と思い、観賞した次第。
前提として、ワタクシはウルトラマンよりもウルトラ怪獣、仮面ライダーよりも怪人たちが好きです。異形のものの苦しみ、哀しみに魅せられるのです。
「怪獣が見たい」と言う目的で、ウルトラマン作品を観賞している人間としては「シン・ウルトラマン」、少し物足りなかったです。
そもそも、庵野監督の意向が「外星人(宇宙人)に禍特対(科特隊)がどう対応するかを描きたい」なので「怪獣要素が足りない」と言う理由での減点は「オーガニック素材での丁寧な料理を提供したい」と言うコンセプトのオーベルジュに対して「二郎系ラーメン食べたい」とオーダーするようなもの。
あくまでも、私にとっては「Not to me」なだけで、一個の映画作品としては良かったと思います。山本耕史演じるメフィラス星人は良かったです。
ツインテール初見時、造形もさることながら、操演が斬新すぎて「え……、おまえ、その角度から、そう動くの?」と度肝を抜かれた身としては「怪獣を魅せる令和の特撮映画」が観たいものです。
怪獣=エロシーンに置き換えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。私にとって「シン・ウルトラマン」は、AVに例えると「ストーリー部分だけが長くて、エロシーンがちょっぴりしかないAV」なのであります。
数日間お風呂に入ってない長澤まさみを斎藤工がクンカクンカしたり、長澤まさみが巨大化したり、一部の性癖の方々には刺さりそうではありますが。
岡田斗司夫が語っていた「シン・シリーズは、庵野秀明の幸せな老後シリーズ」との表現が一番しっくり来ます。クリエイターとして確固たる地位を築いた上で、自分の感性を育んだ作品たちを自分の手で作り直す、って、サブカル・ヒエラルキーの一つの頂点ですよね。
実相寺アングル等、特撮作品へのオマージュはそこかしこに散りばめられており、ウルトラマン作品への愛情の手向け方が「私の思ってたんと違う」だけで、愛情やこだわり自体はヒシヒシと感じられる作品でした。
ワタクシが勝手な期待を抱いてしまった理由が「ウルトラマンのデザインに、成田亨デザインを起用している」との前情報があったから、です。
成田亨と言えば、正義と秩序の化身・ウルトラマンを始め、数々のウルトラ怪獣のデザインを手がけた日本特撮界の功労者。
成田先生のデザインの素晴らしさは「怪獣や宇宙人たちに敬意を抱いている」と言う点です。「シン・ウルトラマン」でも、怪獣に対する成田イズムに触れられる、と思っていたんですよ。
氏は侵略宇宙人のデザインについて「地球人にとっては悪でも、彼らの星では正義であり英雄なのだから、不思議なかっこよさがなければならない」とのポリシーを貫いていました。
青森県立美術館の常設コレクションと石ノ森萬画館の企画展で、成田先生の原画を拝見したことがありますが、怪獣一体一体が神々しいんですよ。科学が発展していない世に降り立っていたら、飛来神として祀られていても不思議じゃないくらい。
「下手したら、人間なんかよりよっぽど高尚な存在なのでは?」と思わせる美しさ、畏しさがある。彼らは決して「処分されるべき野蛮で邪魔な下等生物」ではない。
勧善懲悪のルーティンものだと思われがちなウルトラマンですが「地球人にとって脅威だからといって怪獣たちを倒すのは本当に正義なのか?」とウルトラマンが自問自答するエピソードもいくつかあり、成田氏のデザインにも「自分たちの正義と対峙する者達にも彼らなりの正義や存在意義がある」という美学が込められています。
悪は正義の対義語ではなく、理の異なる正義である。
「思ってたんと違う」で始まった「シン・ウルトラマン」感想でしたが、違ったからこそ
「作品の愛し方、愛情の手向け方にはいくつもの種類があっていい」→「正義にはいくつもの正義があっていい。いくつもの正義の狭間で悩むからこそ、ウルトラマンは人類に寄り添ったヒーローたりうる」
と言う、ウルトラマンに込められた成田先生の思想を、思わぬ形で再学習したのでありました。
本日も一緒に過ごして下さった皆さん、ありがとうございました💕
世の中はカンヌ国際映画祭開催中🏆
三大映画祭の中では、カンヌが一番水が合うので、観たい作品がてんこ盛りです。
最近観た映画はカンヌ全く関係ないんですが。
先日、ワタクシ、やっと「シン・ウルトラマン」を観ました。
「シン・仮面ライダー」を見る前に「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」を履修しておこう🎥🤔と思い、観賞した次第。
前提として、ワタクシはウルトラマンよりもウルトラ怪獣、仮面ライダーよりも怪人たちが好きです。異形のものの苦しみ、哀しみに魅せられるのです。
「怪獣が見たい」と言う目的で、ウルトラマン作品を観賞している人間としては「シン・ウルトラマン」、少し物足りなかったです。
そもそも、庵野監督の意向が「外星人(宇宙人)に禍特対(科特隊)がどう対応するかを描きたい」なので「怪獣要素が足りない」と言う理由での減点は「オーガニック素材での丁寧な料理を提供したい」と言うコンセプトのオーベルジュに対して「二郎系ラーメン食べたい」とオーダーするようなもの。
あくまでも、私にとっては「Not to me」なだけで、一個の映画作品としては良かったと思います。山本耕史演じるメフィラス星人は良かったです。
ツインテール初見時、造形もさることながら、操演が斬新すぎて「え……、おまえ、その角度から、そう動くの?」と度肝を抜かれた身としては「怪獣を魅せる令和の特撮映画」が観たいものです。
怪獣=エロシーンに置き換えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。私にとって「シン・ウルトラマン」は、AVに例えると「ストーリー部分だけが長くて、エロシーンがちょっぴりしかないAV」なのであります。
数日間お風呂に入ってない長澤まさみを斎藤工がクンカクンカしたり、長澤まさみが巨大化したり、一部の性癖の方々には刺さりそうではありますが。
岡田斗司夫が語っていた「シン・シリーズは、庵野秀明の幸せな老後シリーズ」との表現が一番しっくり来ます。クリエイターとして確固たる地位を築いた上で、自分の感性を育んだ作品たちを自分の手で作り直す、って、サブカル・ヒエラルキーの一つの頂点ですよね。
実相寺アングル等、特撮作品へのオマージュはそこかしこに散りばめられており、ウルトラマン作品への愛情の手向け方が「私の思ってたんと違う」だけで、愛情やこだわり自体はヒシヒシと感じられる作品でした。
ワタクシが勝手な期待を抱いてしまった理由が「ウルトラマンのデザインに、成田亨デザインを起用している」との前情報があったから、です。
成田亨と言えば、正義と秩序の化身・ウルトラマンを始め、数々のウルトラ怪獣のデザインを手がけた日本特撮界の功労者。
成田先生のデザインの素晴らしさは「怪獣や宇宙人たちに敬意を抱いている」と言う点です。「シン・ウルトラマン」でも、怪獣に対する成田イズムに触れられる、と思っていたんですよ。
氏は侵略宇宙人のデザインについて「地球人にとっては悪でも、彼らの星では正義であり英雄なのだから、不思議なかっこよさがなければならない」とのポリシーを貫いていました。
青森県立美術館の常設コレクションと石ノ森萬画館の企画展で、成田先生の原画を拝見したことがありますが、怪獣一体一体が神々しいんですよ。科学が発展していない世に降り立っていたら、飛来神として祀られていても不思議じゃないくらい。
「下手したら、人間なんかよりよっぽど高尚な存在なのでは?」と思わせる美しさ、畏しさがある。彼らは決して「処分されるべき野蛮で邪魔な下等生物」ではない。
勧善懲悪のルーティンものだと思われがちなウルトラマンですが「地球人にとって脅威だからといって怪獣たちを倒すのは本当に正義なのか?」とウルトラマンが自問自答するエピソードもいくつかあり、成田氏のデザインにも「自分たちの正義と対峙する者達にも彼らなりの正義や存在意義がある」という美学が込められています。
悪は正義の対義語ではなく、理の異なる正義である。
「思ってたんと違う」で始まった「シン・ウルトラマン」感想でしたが、違ったからこそ
「作品の愛し方、愛情の手向け方にはいくつもの種類があっていい」→「正義にはいくつもの正義があっていい。いくつもの正義の狭間で悩むからこそ、ウルトラマンは人類に寄り添ったヒーローたりうる」
と言う、ウルトラマンに込められた成田先生の思想を、思わぬ形で再学習したのでありました。