エロ本として読んでます
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こんばんは✨
「枕草子」を百合として読んでいる女、シズカです。
本日も一緒に過ごして下さった方、ありがとうございました💕
官能小説ではないけれど、私の性癖をビシバシ刺激してやまない文学作品について語る「エロ本として読んでます」。
第一夜目の今夜は
📜清 少納言 著「枕草子」
「枕草子」はアレ、中宮定子(責め)×清 少納言(受け)の百合萌え本です(断言)。
「枕草子」といえば、日本三大随筆の一つ。日々の事柄を豊かな感受性で拾いあげ、時には才気と毒舌で一刀両断に斬ってゆく、古典随筆のマスターピース。
「香炉峰の雪」を筆頭に、清 少納言の主であった中宮定子とのエピソードも多く収められているのですが、時には故事を引いて男性をやり込めるツンツンした才女が
「私の教養は定子さまを喜ばせるためにあるの」
「女房同士の賭け事の景品、私が絶対に勝って手に入れるわ。そして、定子さまに献上するの!」
「定子さまはとっても素敵な方。定子さま以上の主なんかいないんだから!」
と筆を取る様は、いじらしくて萌え萌えの萌えです。
ライバルであった紫式部には「教養をひけらかすイヤな女!」とディスられたこともあった清 少納言。多少なりとも自己顕示欲もあったでしょうが、一番は
「自分が機知に富んだ返しをすれば定子さまが喜ぶ!」
「才女として自分の評判が広がれば、主である定子さまの株も上がる!」
というように、ただ、大好きな定子を喜ばせたい一心だったんじゃないかな?と、私は思ってしまいます。
「この方の栄華が千年続きますように」と願わずにはいられない気品溢れる美貌。高貴な立場にありながらユーモアもあり、気さくな人柄。「枕草子」の随所に見られる定子への礼讃もプロパガンダとしてではなく、心酔と言ってもいいほどに、心から定子のことを慕っていなければ書けない、筆者の熱を感じるんですよね。
そもそもが「枕草子」って、政争に敗れて没落した定子を慰めるために、自分たちが楽しかった頃の出来事だけを書き連ねたもの、定子が栄華を極めた時代があったことを勝者の歴史に埋もれさせずに後世に残すため書かれたもの、だと言われています。
二人の信頼関係の美しさが垣間見られるエピソードのハイライトは「殿などのおはしまさでのち」でありましょうが、萌え度の高さで言ったら「御方々公達上人」。
📜以下、シズカ語訳でお送りします。
常々、女房同士のお喋りで「愛されるなら一番じゃなきゃイヤ!二番目三番目になるくらいなら一番に嫌われたほうがいいわ!」と豪語していた清 少納言。それを耳にした定子が彼女をからかいます。
中宮定子「私、あなたを可愛がりたいのだけれど。一番でなくてもいいかしら?」
清 少納言「定子さまに想って頂けるなんて、九品蓮台(※1)に乗せて頂けるようなもの。定子様に想って頂けるなら、私は末席でも十分です」
中宮定子「あら、あなたが一番好きなのは私でしょう?一番好きな人には一番に思われたい、と思わなきゃダメよ」
……。
…………。
こんなん、もう、完全に百合ですやんっ!完全にイチャラブですやんっ!
普段はイキっている清 少納言が大好きな定子さまの前ではたじたじになってしまうのも可愛いが過ぎる。
女性が政治の道具として扱われるのが当たり前だった平安貴族社会。二人はお互いが唯一、個人として心を通わせ、風雅を交わすことができる存在だった。権力闘争の駒としての役割を失った自分に、変わらずに心を寄せてくれる存在が清 少納言だった、と考えると、そこに特別な感情が芽生えても不思議はなく「清 少納言&中宮定子 百合カップリング説」は、あながち、的外れでもないと思うんだよね🤔
(※1 極楽浄土に赴く際の乗り物)
「枕草子」を百合として読んでいる女、シズカです。
本日も一緒に過ごして下さった方、ありがとうございました💕
官能小説ではないけれど、私の性癖をビシバシ刺激してやまない文学作品について語る「エロ本として読んでます」。
第一夜目の今夜は
📜清 少納言 著「枕草子」
「枕草子」はアレ、中宮定子(責め)×清 少納言(受け)の百合萌え本です(断言)。
「枕草子」といえば、日本三大随筆の一つ。日々の事柄を豊かな感受性で拾いあげ、時には才気と毒舌で一刀両断に斬ってゆく、古典随筆のマスターピース。
「香炉峰の雪」を筆頭に、清 少納言の主であった中宮定子とのエピソードも多く収められているのですが、時には故事を引いて男性をやり込めるツンツンした才女が
「私の教養は定子さまを喜ばせるためにあるの」
「女房同士の賭け事の景品、私が絶対に勝って手に入れるわ。そして、定子さまに献上するの!」
「定子さまはとっても素敵な方。定子さま以上の主なんかいないんだから!」
と筆を取る様は、いじらしくて萌え萌えの萌えです。
ライバルであった紫式部には「教養をひけらかすイヤな女!」とディスられたこともあった清 少納言。多少なりとも自己顕示欲もあったでしょうが、一番は
「自分が機知に富んだ返しをすれば定子さまが喜ぶ!」
「才女として自分の評判が広がれば、主である定子さまの株も上がる!」
というように、ただ、大好きな定子を喜ばせたい一心だったんじゃないかな?と、私は思ってしまいます。
「この方の栄華が千年続きますように」と願わずにはいられない気品溢れる美貌。高貴な立場にありながらユーモアもあり、気さくな人柄。「枕草子」の随所に見られる定子への礼讃もプロパガンダとしてではなく、心酔と言ってもいいほどに、心から定子のことを慕っていなければ書けない、筆者の熱を感じるんですよね。
そもそもが「枕草子」って、政争に敗れて没落した定子を慰めるために、自分たちが楽しかった頃の出来事だけを書き連ねたもの、定子が栄華を極めた時代があったことを勝者の歴史に埋もれさせずに後世に残すため書かれたもの、だと言われています。
二人の信頼関係の美しさが垣間見られるエピソードのハイライトは「殿などのおはしまさでのち」でありましょうが、萌え度の高さで言ったら「御方々公達上人」。
📜以下、シズカ語訳でお送りします。
常々、女房同士のお喋りで「愛されるなら一番じゃなきゃイヤ!二番目三番目になるくらいなら一番に嫌われたほうがいいわ!」と豪語していた清 少納言。それを耳にした定子が彼女をからかいます。
中宮定子「私、あなたを可愛がりたいのだけれど。一番でなくてもいいかしら?」
清 少納言「定子さまに想って頂けるなんて、九品蓮台(※1)に乗せて頂けるようなもの。定子様に想って頂けるなら、私は末席でも十分です」
中宮定子「あら、あなたが一番好きなのは私でしょう?一番好きな人には一番に思われたい、と思わなきゃダメよ」
……。
…………。
こんなん、もう、完全に百合ですやんっ!完全にイチャラブですやんっ!
普段はイキっている清 少納言が大好きな定子さまの前ではたじたじになってしまうのも可愛いが過ぎる。
女性が政治の道具として扱われるのが当たり前だった平安貴族社会。二人はお互いが唯一、個人として心を通わせ、風雅を交わすことができる存在だった。権力闘争の駒としての役割を失った自分に、変わらずに心を寄せてくれる存在が清 少納言だった、と考えると、そこに特別な感情が芽生えても不思議はなく「清 少納言&中宮定子 百合カップリング説」は、あながち、的外れでもないと思うんだよね🤔
(※1 極楽浄土に赴く際の乗り物)