リバー、流れないでよ
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こんにちは✨シズカです🎥
予備知識なしで「この物語はどうなるのか!?」を登場人物たちと一緒に体験するタイプの映画を、個人的に「体験型作品」と呼んでいます。
「これは絶対、一刻も早く観たい!」と切望していた体験型作品「リバー、流れないでよ」、念願叶って観に行く事ができました。
冬の京都、貴船の老舗旅館を舞台に、同じ2分間をループする現象に見舞われた人々の群像劇ーーと言うストーリーです。
以下、箇条書きですが感想です。
⚠️ネタバレあり
・京都の貴船、と言う舞台設定がまず大正解だと思います。
某高級リゾートホテルは「ここで過ごす間は、時間を忘れてほしいから」と言う理由で、お客様の目につくところに時計を置かないそうです。
外界とは断絶された、変わらない伝統に守られた土地。日本でも極めて古い歴史を持つ、水を司る神様のお膝元。1000年前から流れる川に貫かれた地帯。貴船には、世俗とは異なる理の時間が流れてもおかしくない、と思わせる説得力があります。
・物語後半、時間がループし始めた理由について、主人公のミコトちゃんが、フレンチ修行のために渡仏したがっている恋人を、貴船に引き留めておきたいがために「時間が止まってしまえばいいのに」と願掛けをしたことでは?と言う疑惑が浮上します。
う〜ん。好きな男の夢を応援するでなく、ループの中に閉じ込めようとするのは、愛情ではなく執着では?これはもしや、新種のサイコ・スリラーか。和製ミザリーか、ゴーン・ガールか?と一瞬背筋がヒンヤリしましたが、ちゃんと、違うオチが用意されています。
・ミコトちゃんが未来人と、同じ御守りを見せあうのがエモい。恋人が月に赴任するのが一般化するほど発展した世になっても、人は、誰かを恋う時には、神に縋りたくなるものなのね。
主人公の名前が「命(みこと)」なのもあって、
ふと思い出したのが、鎌倉時代に詠まれた一つの和歌。
「新古今和歌集」収録の儀同三司母(高階貴子)による、この一首です。
「忘れじの行く末まではかたければ
今日を限りの命ともがな」
(意訳:忘れないよ、とあなたは言うけれど、その気持ちがこの先変わらない保障なんてないから
私は今、あなたが愛してくれる、この瞬間だけの命でいい)
「リバー、流れないでよ」にも通じる、女の情念の一途さ、恐さ、哀しさ、儚さ、けなげさ、全部が凝縮された一首です。
この歌に込められた心持ちを「リバー、流れないでよ」に重ねるとしたら
「流れじの川に願いを掛けたれば
2分を限りの世界ともがな」
と言ったところでしょうか。
和歌を鑑賞すると、全く違う時代や価値観を生きた人々が、令和を生きる人類と同じようなことで一喜一憂して、胸を焦がし、身を捩っていたことに驚かされます。
1000年近くも前の恋文のやり取りなのに、今切った傷口の血で綴ったように、生々しいんです。人間の進化しなささ、愚かしさが愛おしいですね。
そして、それは100年後も1000年後も、水が変わらず流れるように、普遍のものである気がします。
・SFはSFでも、サイエンス・フィクションと言うより、藤子・F・不二雄先生が提唱するところの「少し・不思議な」に通じる質感の作風だな~と感じました。
今作を手掛けたヨーロッパ企画は京都を中心に活動している劇団だそうで、前作の「ドロステのはてで僕ら」も鑑賞しましたが、最後にF先生の初期のSF短編集への言及があり、点と点が線で繋がりました。先人からの影響をリスペクトと愛情を抱いて継承している作品は好きです。
・余談ですが、御守りで絵文字変換したら、🧿ナザールボンジュウしか出てこないのワロタ。日本人にはニッチすぎると思うの。
【お知らせ】
明日からまた出勤予定です(横手川周辺で局地的な時間ループが発生しない限り)。
予備知識なしで「この物語はどうなるのか!?」を登場人物たちと一緒に体験するタイプの映画を、個人的に「体験型作品」と呼んでいます。
「これは絶対、一刻も早く観たい!」と切望していた体験型作品「リバー、流れないでよ」、念願叶って観に行く事ができました。
冬の京都、貴船の老舗旅館を舞台に、同じ2分間をループする現象に見舞われた人々の群像劇ーーと言うストーリーです。
以下、箇条書きですが感想です。
⚠️ネタバレあり
・京都の貴船、と言う舞台設定がまず大正解だと思います。
某高級リゾートホテルは「ここで過ごす間は、時間を忘れてほしいから」と言う理由で、お客様の目につくところに時計を置かないそうです。
外界とは断絶された、変わらない伝統に守られた土地。日本でも極めて古い歴史を持つ、水を司る神様のお膝元。1000年前から流れる川に貫かれた地帯。貴船には、世俗とは異なる理の時間が流れてもおかしくない、と思わせる説得力があります。
・物語後半、時間がループし始めた理由について、主人公のミコトちゃんが、フレンチ修行のために渡仏したがっている恋人を、貴船に引き留めておきたいがために「時間が止まってしまえばいいのに」と願掛けをしたことでは?と言う疑惑が浮上します。
う〜ん。好きな男の夢を応援するでなく、ループの中に閉じ込めようとするのは、愛情ではなく執着では?これはもしや、新種のサイコ・スリラーか。和製ミザリーか、ゴーン・ガールか?と一瞬背筋がヒンヤリしましたが、ちゃんと、違うオチが用意されています。
・ミコトちゃんが未来人と、同じ御守りを見せあうのがエモい。恋人が月に赴任するのが一般化するほど発展した世になっても、人は、誰かを恋う時には、神に縋りたくなるものなのね。
主人公の名前が「命(みこと)」なのもあって、
ふと思い出したのが、鎌倉時代に詠まれた一つの和歌。
「新古今和歌集」収録の儀同三司母(高階貴子)による、この一首です。
「忘れじの行く末まではかたければ
今日を限りの命ともがな」
(意訳:忘れないよ、とあなたは言うけれど、その気持ちがこの先変わらない保障なんてないから
私は今、あなたが愛してくれる、この瞬間だけの命でいい)
「リバー、流れないでよ」にも通じる、女の情念の一途さ、恐さ、哀しさ、儚さ、けなげさ、全部が凝縮された一首です。
この歌に込められた心持ちを「リバー、流れないでよ」に重ねるとしたら
「流れじの川に願いを掛けたれば
2分を限りの世界ともがな」
と言ったところでしょうか。
和歌を鑑賞すると、全く違う時代や価値観を生きた人々が、令和を生きる人類と同じようなことで一喜一憂して、胸を焦がし、身を捩っていたことに驚かされます。
1000年近くも前の恋文のやり取りなのに、今切った傷口の血で綴ったように、生々しいんです。人間の進化しなささ、愚かしさが愛おしいですね。
そして、それは100年後も1000年後も、水が変わらず流れるように、普遍のものである気がします。
・SFはSFでも、サイエンス・フィクションと言うより、藤子・F・不二雄先生が提唱するところの「少し・不思議な」に通じる質感の作風だな~と感じました。
今作を手掛けたヨーロッパ企画は京都を中心に活動している劇団だそうで、前作の「ドロステのはてで僕ら」も鑑賞しましたが、最後にF先生の初期のSF短編集への言及があり、点と点が線で繋がりました。先人からの影響をリスペクトと愛情を抱いて継承している作品は好きです。
・余談ですが、御守りで絵文字変換したら、🧿ナザールボンジュウしか出てこないのワロタ。日本人にはニッチすぎると思うの。
【お知らせ】
明日からまた出勤予定です(横手川周辺で局地的な時間ループが発生しない限り)。