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しずか 【色白癒し系美乳美女】のブログ

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こんばんは✨シズカです🎥

本日は大雪の中、お呼び下さった方、ありがとうございました😊

ワタクシ、先日の休暇中に、北野武最新作「首」を観てきました。

私……、この映画……


……大好きです😭!!   



🎞以下、箇条書きですが感想です。
(ネタバレあり)










・信長が怖い。



・前評判では「戦国時代の『アウトレイジ』」と評す意見がありましたが、個人的には

戦国時代✕「アウトレイジ」✕「パルプ・フィクション」✕田亀源五郎(※1)

だと感じました。

あたいの好きなものしか詰まってないのよ😭

(※1 ゲイ ハードSM漫画の巨匠)



・好きな監督は、1にタランティーノ、2にロバート・ロドリゲスを挙げるワタクシ。

北野武は、日本のタランティーノだと思っています。北野武とタランティーノは、お互いを好きな監督として挙げているので、実際、通じるところがあるのでしょうね🤔

バイオレンスとジョーク、緊迫と弛緩のリズム感が似てるのよ。

北野&タランティーノ作品って、血生臭いんですけど、映像としてはスタイリッシュな所も共通点があると思います。


・パンフレット収録のインタビューでも、北野監督はタランティーノの「パルプ・フィクション」を引き合いに出していて、「首を中心に、何個ものドラマが同時進行する様子を撮りたかったんだ」と語っているのですが、これは和製「パルプ・フィクション」だと思って見ると、作品理解がしやすいかもしれません。

信長、光秀、秀吉、家康、各陣営。農民、武士、商人、芸人。様々な視点から、首を巡ったドラマが描かれるのですが、首とは何か。

ある者にとっては、立身出世への通行手形。ある者にとっては、愛した者にだけ、預けるに値する御印(ここらへん、マイラブ三島先生と森田必勝氏の最期を重ねてしまいます)。ある者にとっては、どうでもいい、ただの死体の切れ端。

武将も百姓も死んでしまえば、ただの首。その、ただの首に一喜一憂して駆けずり回る人間の愚かさを、暴力と笑いの力業でエンターテイメントに昇華している。

喜寿に手が届く年齢で、こんなにエネルギッシュな作品を撮ってしまう北野武は凄いよ。



・「バッファロー66」然り、「パルプ・フィクション」然り、「地獄の黙示録」然り。

頭一つ抜けた名作は、開始5分ですでに「あ、この映画、名作だ」と思い知らされる説得力があります。

冒頭、首、と言う一文字だけがスクリーンに映し出されます。

書家の柿沼康二氏による、この題字が素晴らしい。元々、漢字って象形文字ではあるのですが、柿沼氏の「首」は、斬首の瞬間そのものに見える。

こちらを向いて跪いて、斬られて、横に滑り、落ちる首。薙ぎ払った刀身に滴る血飛沫。そのものに見えるんですよ。



・戦国時代においては、衆道は武士の嗜みだったわけですが、人間関係の歪みや、行動の動機づけに衆道の愛憎を絡めてくるのは説得力があると思います。

信長が弥助を侍らせていた理由も、邪推してしまいますね🤔

タイトル通り、とにかく、斬首のオンパレードな本作なのですが、ワタクシは「サロメ」のヨカナーンを彷彿とし、「全てをチンコとマンコに結びつけるおじさん」こと、フロイトが提唱した、斬首のモチーフ=去勢不安説を思い出しました。

斬首=男性社会において、存在意義を失う恐怖のメタファーなんかなぁ、と思いつつ。

正直、三島文学と北野映画は、肉体を女体とする者である限り、理解に限界があるのかもなぁ……と思いました。

そういえば「サロメ」を執筆したオスカー・ワイルドもバイ・セクシャルだし。てか、三島先生もワイルドも男女云々、と言うより「美しい人」が好きなんだと思う。そう考えると、信長も、「武士の習いだから衆道に興じた人」ではなく、「自分の美意識や好奇心を刺激する人間を性別関係なく愛でた人」なのかもしれません。



・信長が怖い。ほんとにこの人、R1のCMの人なの……🥲?


・史実によると、本能寺の変の時点での年齢は、信長49歳、秀吉46歳。

一方、「首」のキャスティングは
信長(加瀬亮)49歳
秀吉(北野武)75歳

登場人物の年齢と剥離のあるキャスティングに否定的な意見があったようですが。

これはね、日本文化の「見立」で楽しむ映像作品だと思います。

日本人は、一の中に全を、全の中に一を見る民族です。

見立で有名なものは、砂と石だけで野山や河川の風景を表す枯山水ですが、狂言や落語の中でも一つの扇子を様々な道具に見立てる、男が女を演じ、若者が翁を演じる等、日本人はあらゆる芸事の中で、見立を活用してきた民族です。

見立とは何か。自分の想像力で補填する・拡げる、と言うことです。



・信長のパワハラに心を病んでか、信長と蘭丸のコスプレをさせた他人を夜な夜な惨殺する光秀がヤバい。

本能寺の変を決起するに至った動機が「第六天魔王だと思ったからこそ従ってきたが、自分の子の前では、ただの人だったか」と幻滅したから、と言う点も私は好きですね。

信長の理不尽の遠心力に振り回されながらも、心酔せずにはいられなかった光秀の心情が上手く表現されているシーンです。



・寺島進は何やってもカッコいいなぁ。なんかもう、後ろ姿や歩き方からしてカッコいいのよ。大森南朋も味があって、良い俳優さんですね。岸部一徳の利休居士もいい。岸部一徳は北野版「座頭市」での役も良かったんですが、今回もハマり役。ひたすら狡く情けなく、人間らしい中村獅童も、めちゃめちゃ良かったです。



・信長が怖い。と言うか、私はもはや、尾張弁すら怖い(加瀬亮の演技を絶賛しているだけです。尾張の言語や文化を否定しているわけではないので悪しからず)



・北野作品を象徴する大きな特徴が、生々しい痛みと、呆気ない死。生きている人間が感じる痛みの描写は容赦ないのに、訪れる死は、籠から転げた蜜柑のように、淡々と処理される。

マイラブ三島先生は「葉隠入門」にて

「死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じだということを『葉隠』は主張 している。我々は今日死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない」

と書いているのですが、今よりも、死がずっと身近にあった時代だからこそ、生への意地汚いほどの執着が、濃く匂う。いつ、殺し、殺されてもおかしくない状況だからこそ、炙り出される人間の本質。

ここらへん、北野監督は容赦なく描きますね。



・北野監督の出自がお笑い芸人だと言うこともあって、北野映画において「笑い」と言うのは重要なファクターです。

日本古来の笑いの文化、落語や狂言は、人間の業を笑うものです。人間らしい愚かしさ、失敗、滑稽を描いて、それを笑いに転換することで消化していく。

笑えない事柄を、笑うことによって、赦す。それが、純度の高い笑い。ユーモアの本来です。

北野映画の笑いは、純性の笑いです。

蝉の声が響く季節、死体の山に群がる蝿の羽音。切断された首の断面。臭いまで漂ってきそうな、これ以上ないくらいのリアリティと、膝カックンのように不意打ちで打ち込まれる笑いの対比。

死があるからこそ、生が躍動し、緊張があるからこそ笑いが生まれる。

正統派の戦国映画を求める人々にはオススメし難いですが、バイオレンス映画としても、お笑い映画としても快作だと思います。



・信長が怖い。
 
北野監督からは、信長を演じた加瀬亮に「イッちゃってる人ね」と役のイメージを説明したそうですが、加瀬信長はまさにキチguy(コンプラに配慮した表記にしています)。

劇中、一瞬、「これが素の信長では?」と思うシーンがあったのですが、誰よりも聡明で正気だったからこそ、狂った時代の中で、狂わずにはいられなかったのでは?と感じました。



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