旧 志ら梅酒造 石蔵

今年は
戦後 80年。
TBC 東北放送の
ニュース番組を見て
あらたに知ったことがあります。
それは
仙台空襲があった夜
二日町では
防空壕内
そして
避難をしている途中で亡くなった方が多かったとのことです。
仙台市青葉区 中心部
オフィスや飲食店が入る
ビル群の一角には
空襲の爪痕を今に伝える
大変、貴重な建物が残されています。
国分町三丁目
国分町通り沿いにある
旧 志ら梅酒造さんの石蔵。
旧奥州街道に面した場所にあった
江戸時代からの作り酒屋
志ら梅酒造さんの
お屋敷跡は
現在、駐車場になっています。
(敷地内には、母屋や工場もあったそう)
大正3年
秋保石で作られた蔵の中にあったものは
上から落ちてきた焼夷弾で、全焼
焼け残ったのは
売買関係の書類が入っていた
金庫のみ。
昭和20年7月10日にあった
仙台空襲時
敷地内にあった
防空壕は
人で
いっぱい
番組に出た
貸しビル業を営む
所有者の吉岡代表の
お父様と叔父様は
やむを得ず
青葉神社に逃げたそうですが
(この辺りから青葉神社までは
少々ですが、遠いですよね。大人の男性でも怖かったでしょうね)
空襲がおさまり
戻ってくると
家は全焼
灰の山と化し
防空壕に逃げた人々は
全員 焼死
蒸し焼きになって死んでいたそうです。
愛犬の散歩ルートにある蔵。
昔の質屋さんの蔵だと
ばかり
思っていましたが
まさか
このような話があるとは知らず
かなり、胸が詰まりましたね。
前にブログで書きましたが
西公園で
ご年配の方々が
何故か
手をあわせている光景を目にしてきたんですよ。
広瀬川で殺された殉教者
キリシタンのことかなぁ?と思っていましたが
仙台空襲に
まつわることかもしれませんね。
吉岡代表のお話は
TBC 東北放送のYouTube番組で
ご覧になれます。
