ぬるっとした記憶。
子どもの頃。
私には、
どうしても
納得できないことがあった。
テレビでは、
人というものは
バナナの皮を踏むと、
見事なくらいに
滑って転ぶ。
つるんっ。
どてーん。
…………。
本当に?
幼い私は、
少々、
疑っていた。
なぜなら。
私の暮らしていた島には、
バナナの皮など、
そう都合よく
落ちてはいなかったからである。
その代わり。
昆布なら、
あった。
…………。
昆布の切れ端。
それから、
わかめの切れ端。
めかぶの硬いところ。
海のそばで暮らす
子どもたちにとって、
それらは、
珍しいものでも
なんでもなかった。
ある日のこと。
誰かが言った。
「バナナの皮で
滑るんだったら、
昆布でも
滑るんじゃない?」
…………。
なるほど。
子どもというものは、
時として、
大人ならば
一度立ち止まるところを、
ものすごい勢いで
駆け抜ける。
試した。
滑った。
…………。
ものすごく、
滑った。
こうして。
誰がいちばん
おもしろく滑れるのかを競う、
『海藻滑り選手権』
が、
華々しく
開幕したのである。
参加者は、
小学一年生。
小学二年生。
小学三年生。
三名。
ちなみに私は、
小学二年生。
昆布を踏んでは、
つるん。
めかぶを踏んでは、
ぬるん。
誰かが
派手に滑れば、
みんなで笑った。
賞状も。
メダルも。
副賞もない。
それでも。
私たちには、
たいそう愉快な
大会だった。
遊び終わった海藻は、
いつものように
端へ寄せた。
砂がつけば、
水道の水で流した。
あとは、
島に棲む
夜行性のいきものたちが、
食べたり
巣へ持って帰ったりする。
そして
夕方五時の鐘が鳴れば、
家へ帰る。
その日も、
そうだった。
…………。
その日の夜。
島には、
霧雨が降っていた。
ざあざあと
降るわけではない。
細かな雨が、
静かに、
海や岸壁を
濡らしていた。
昼間、
私たちが遊んでいた
昆布やめかぶも、
乾かなかった。
海藻は、
ぬるぬるしたまま。
岸壁も、
濡れたまま。
私たちの
『海藻滑り選手権』の跡は、
夜になっても、
ぬるっと
残っていた。
…………。
まさか。
私たちが帰ったあとで、
あの昆布とめかぶが。
とんでもない仕事を
することになるとは。
このときの私は、
まだ知らない。
その夜。
島の海へ、
密漁に来ていた人たちが
いたらしい。
そして。
どうやら、
私たちが遊んでいた
あたりで。
滑った。
…………。
それはもう、
滑ったらしい。
海藻そのものも
さることながら。
濡れた岸壁に、
昆布やめかぶの
ぬるぬる。
私たち地元の子どもは、
よく知っていた。
あれは、
本当によく滑る。
しかし。
夜にやって来た人たちは、
知らなかったのだろう。
後から聞いたところでは。
四人ほどが、
骨折したという。
そして、
捕まった。
…………。
もちろん。
それを新聞で
知ったわけではない。
島には、
新聞よりも速いものがある。
じいちゃん。
ばあちゃん。
おっちゃん。
おばちゃん。
いつも私たちを、
めんこがって。
何かと気にかけてくれていた
島の大人たちである。
誰かが知れば、
誰かへ伝わり。
その誰かが、
また誰かへ伝える。
島の中を、
話がぐるりと
駆け巡る。
名づけるならば…
『島の風ネットワーク』
…通信料は、
たぶん無料である。
こうして、
私たちの耳にも、
報せは入ってきた。
人が、
怪我をした。
…………。
私たちのせいだ。
そう思った。
悪いことをしに来た人だったとか。
結果として、
何かを守ることになったとか。
そんなことは、
小学二年生の私には
関係がなかった。
人が怪我をした。
私たちが、
昆布で遊んだから。
その二つだけが、
頭の中で
ぴったりと
くっついてしまった。
そして私は、
泣いた。
友だちも、
泣いた。
それはもう、
よく泣いた。
たしか。
その3日後だったと
思う。
私たち三人は、
警察署へ
行くことになった。
それぞれ、
親に付き添われ。
あまりに私たちが
泣くものだから、
心配した教頭先生まで、
一緒に来てくださった。
島を出て。
船に乗り。
バスに乗り。
さらに、
電車に乗って。
警察署までは、
片道、
およそ三時間。
…………。
終わった。
私の人生は、
小学二年生にして
終わった。
まず。
逮捕される。
そうしたら、
家族には
もう会えない。
連れて行かれるのは、
アニメか何かで見たような、
暗くて。
冷たくて。
じめじめした牢獄。
さらに。
新聞にも、
載る。
すると。
家族まで、
悪く言われる。
家に、
石を投げられるかもしれない。
…………。
昆布で遊んだだけなのに、
我が家が
滅びようとしている…。
そんなことを考えながら、
警察署へ入った。
すると。
女性の警察官が、
にこにこと笑って。
「こんにちは〜!
お船に乗ってきたの?」
と、
声をかけてくださった。
そして。
ジュースまで、
いただいた。
…………。
優しい。
怖い。
なぜ、
こんなに優しいのだろう。
私たち三人は、
小さな声で
相談した。
「手錠、
されなかったね…」
「大人用しか、
ないんじゃない?」
「カツ丼、
出ないね……」
「子どもだから
じゃない?」
「タバコも、
吸えないもんね……」
…………。
小学一年生。
小学二年生。
小学三年生。
三人寄れば、
文殊の知恵。
…………。
この日に限っては、
まったく
そんなことはなかった。
私たちは、
奥のお部屋へ
案内された。
そこには。
笑顔ではあるものの、
なかなかに
迫力のある、
年配の警察官がいた。
背が高く。
体格もよく。
小学二年生の私から見れば、
ずいぶんと、
大きなおじさんだった。
そして。
そのおじさんは、
言った。
「こんにちは!
よく来てくれたね!
はい、
ケーキどうぞ!
おじさんと、
食べながら
お話しない?」
…………。
ケーキ。
本来ならば。
小学二年生が、
喜ぶものである。
しかし。
当時の私は、
運の悪いことに。
日本には、
『死刑』
という刑罰があることを、
知ったばかりだった。
さらに。
死刑になる人は、
最期に、
おやつのようなものを
食べることができる。
…………らしい。
という、
非常に断片的な知識まで、
仕入れたばかりだった。
そして。
「二人以上の命を奪ったら
死刑になる」
というような話も、
子どもなりに、
ぼんやりと
覚えていた。
もちろん。
誰も、
死んでいない。
四人ほどが、
骨折したと
聞いただけである。
…………。
だが。
四人。
二人より、
多い。
警察署。
親。
ケーキ。
…………。
揃った。
私。
死刑なんだ。
だから。
このケーキなんだ。
。゚(゚´Д`゚)゚。
今なら、
はっきりわかる。
何ひとつ、
揃っていない。
しかし。
当時の私は、
そんなことを
知る由もない。
目の前には、
ケーキ。
向かいには、
笑顔の
いかついおじさん。
私は。
人生最後になるかもしれない
ケーキを前に。
泣いていた。
そんな私たちに。
おじさんは、
優しく聞いた。
「みんなは、
いつもどんなふうに
遊んでるのかな?」
…………。
来た。
取り調べだ。
私は、
覚悟を決めた。
「昆布の端っこと……」
「うんうん」
「めかぶの切ったやつで……」
「うん」
「誰がいちばん、
おもしろく滑れるか……」
「うんうん」
「選手権を……」
おじさんは、
聞いていた。
そして。
「海藻滑り選手権?
すごいね!
オリンピックみたい!」
と、
笑った。
…………。
死刑になるのに、
褒められた。
警察とは、
不思議なところである。
さらに。
おじさんは、
言った。
「おじさんも、
一緒に遊んでみたいな!」
…………。
え。
「おじさんのお友達も
連れて行ったら、
遊び方、
教えてくれる?」
…………。
もちろん。
私たちは、
うなずいた。
警察署からの帰り。
私たちは、
警察の方から
交通安全の反射材を
いただいた。
星の形と。
丸い形。
「好きなほう選んで。
自転車につけてね」
私は、
星を選んだ。
…………。
そして。
疑った。
この中に、
発信機のようなものが
入っているのでは
ないだろうか。
逃げないように。
どこにいるのか、
警察にわかるように。
そんなものを、
アニメか映画か、
何かで見たのだと思う。
何だったのかは、
もう覚えていない。
それでも。
さすが警察は、
しっかりしている。
私は、
少し震えた。
そして。
帰りの船を待つ、
待合室。
畳があって。
ちゃぶ台があって。
船を待つ人たちが、
お茶を飲んだり。
ご飯を食べたり。
話をしたり。
そんな場所だった。
長い道中だったので。
母たちは、
私たちのリュックに、
退屈しないためのものを
いろいろと
入れてくれていた。
昔話の絵本。
折り紙。
その中に、
けろけろけろっぴの
折り紙もあった。
私たちは、
ちゃぶ台を囲んだ。
私は、
母に聞いた。
「おじさんのお友達って、
何人来るのかな?」
母は。
「なんで、
そんなこと聞くの?」
と言った。
「せっかく、
滑りに来るんだから。
メダルを、
作ってあげるんだよ!」
母は。
くすっと、
笑った。
「多いと、
八人くらいみたいよ。
でも、
お母さんも
わからないわよ」
…………。
なるほど。
最大、
八人。
それなら。
何か、
あげたい。
「メダルって、
どうおるの?」
「わかんない。
丸く切る?」
「やだ。
ケロッピ、
きりたくない!」
「じゃあ、
手裏剣にしない?」
「あ!
警察って、
忍者みたいだもんね!」
「手裏剣にしよう!」
…………。
決まった。
私たちは、
手裏剣を折った。
十個、
折った。
…………。
なぜ、
八人くらいと聞いて
十個作ったのかは、
覚えていない。
その手裏剣は、
小学三年生の友だちが
預かってくれた。
後日。
私は、
家にあった
菓子折りについていた
リボンを持って、
その子の家へ
遊びに行った。
三人で。
手裏剣に、
リボンをつけた。
ホチキスで。
…………。
メダルが、
できた。
ところで。
私たちは、
少しだけ
疑問にも思っていた。
あの日。
警察署で、
私たちに
いろいろ聞いていたおじさんが。
なぜ、
わざわざ島まで
遊びに来るのだろう。
けれど。
誰も、
本人には聞けなかった。
すると。
誰かが言った。
「警察の人って、
仕事しないで、
剣道とか柔道すること
あるんだよ」
…………。
なるほど。
「じゃあ、
新しい遊び探してるんじゃない?」
「あ!
だから、
あんなに聞いてきたんだ!」
「でも、
街に海藻ないよね?」
「遊び方教えてもらって、
海藻は、
うちのじいちゃんばあちゃんから
もらうんじゃない?」
…………。
なるほど。
そして。
おじさんが、
島へ来る日。
母は、
私に言った。
「覚えてること、
全部教えてあげなさいね」
「あんな遠いところから
来るのよ、
めぐもこないだ
行ったから、
警察署が遠いの
わかるでしょ?」
「あんたたちしか
わからない事なんだから、
しっかり教えて差し上げるのよ」
…………。
覚えてること?
遊びに来るのに?
少しだけ、
不思議だった。
けれど。
わざわざ、
あんなに遠いところから
来てくださるのである。
それなら。
きちんと、
案内しなければならない。
おじさんたちを迎えるため。
船着場には、
私たち三人だけではなく。
三人の家族も、
揃っていた。
船が着いた。
そして。
おじさんは、
本当にやって来た。
お友達を、
四人も連れて。
みんな。
地味な、
私服姿だった。
…………。
おじさん、
本当に来た!
私たちは、
嬉しくなった。
まず。
船着場の近くにある
公民館へ行き。
おじさんたちは、
荷物を置いた。
そして。
あの、
いかついおじさんが。
明るい声で、
言った。
「じゃあ行こうか!
可愛いガイドさんたち、
お願いしまーす!」
…………。
ガイド。
一瞬、
戸惑った。
けれど。
母は、
言っていた。
遠いところから
来てくださったのだから。
覚えていることを、
全部教えて差し上げなさい。
私たちしか、
わからないのだから。
それなら。
ガイドは、
私たちの仕事である。
「じゃあ、
ついてきてね」
「こっちだよ」
私たちは、
おじさんと、
四人のお友達を連れて。
船着場から、
少し離れた。
漁船を停めておく場所へ
向かった。
あの日。
海藻滑り選手権をした
場所である。
そして。
私たちは、
説明した。
どこに、
昆布があったのか。
どこに、
めかぶがあったのか。
どんなふうに、
滑っていたのか。
すると。
「どんなふうにしてるの?」
「やって見せて」
と、
言われた。
…………。
もちろん。
私たちは、
やって見せた。
三人で。
昆布を踏んで。
つるっ。
足を滑らせながら。
スキップするような
要領で着地して。
最後に。
変なポーズを、
決める。
…………。
これが。
私たちの、
海藻滑り選手権である。
写真も、
撮られた。
…………。
少し、
恥ずかしかった。
そして。
お友達の一人も、
昆布の上に立った。
滑った。
別のお友達が、
その写真を撮った。
…………。
やってる。
海藻滑り選手権を、
やってる。
私たちには、
そう見えた。
ところが。
途中から、
雨が降ってきた。
おじさんが、
言った。
「じゃあ、
雨も強くなってくる前に
戻ろうか」
「いろいろ教えてくれて、
ありがとう」
私たちは、
急いで
公民館へ戻った。
…………。
大変である。
メダルが、
濡れてしまった。
本当は。
選手権が終わったら、
渡すつもりだった。
けれど。
雨が降ってきた。
だから。
公民館で、
渡すことにした。
私は、
巾着袋に入れたメダルを持って、
自分の担任の先生のところへ
こっそり行った。
当時、
二十六歳だった
女性の先生である。
「先生、
あのね」
「せっかく、
選手権に来てくれたから」
「三人で、
メダル作ったの」
私は、
巾着袋を開けた。
中には。
三人で作った、
手裏剣のメダル。
少し、
濡れていた。
先生は。
「わぁ。
みんなで作ったの?」
と、
笑った。
「きっと喜ぶから!」
「先生も一緒に
行ってあげるから、
みんなで
お話してみようね!」
…………。
よかった。
先生が、
一緒に来てくれる。
私たちが、
おじさんたちのところへ
近づくと。
先生が、
先に小走りで
おじさんのところへ行った。
そして。
私たちには
聞こえない声で、
何かを話した。
何を話したのか。
私は、
知らない。
ただ。
今になって思えば。
この子たちは、
本当にあなたたちが
海藻滑り選手権に
来たと思って。
メダルまで、
作ったようです。
そんなことを、
話してくれたのかも
しれない。
おじさんは。
一瞬。
目を、
かっと見開いた。
それから。
あの、
少しいかつい顔を
ふにゃふにゃの
笑顔にして。
私たちのほうを、
見た。
そして。
あちらこちらの
テーブルで、
お酌をされていた
四人のお友達を、
呼んだ。
五人が、
揃った。
すると。
三人の中で、
いちばん年上だった
小学三年生の友だちが。
顔を、
真っ赤にして。
「今日は来てくれて、
ありがとうございました」
と、
言った。
それを聞いて。
私たちも。
「ありがとうございました」
と、
言った。
すると。
担任の先生が、
拍手をしてくれた。
校長先生も。
教頭先生も。
拍手をしてくれた。
その拍手は。
いつの間にか、
大きくなっていた。
おじさんと、
四人のお友達は。
少し照れながら。
私たちが届くところまで、
身体を低くしてくれた。
背が高く。
体格のいい、
おじさんたちだった。
私たちは。
その首に、
一人ずつ。
メダルを、
かけた。
…………。
その日。
島では
おじさんたちを迎えるために、
私たち三人の
母や祖母たちが、
いろいろな料理を
用意していた。
我が家でも。
母と祖母が、
あわびご飯を炊いた。
おにぎりにして。
物置にあった
業務用のような
大きな冷凍庫から、
鮭やイカや鱈などの
切り身を出して、
天ぷらにフライ、
お吸い物。
父は、
仕事先から持ち帰っていた
ウイスキーを出した。
祖父は、
お気に入りの日本酒を出し、
自ら包丁を取って
刺し身をこしらえた。
そして。
公民館には。
地区の区長さん。
校長先生。
教頭先生。
小学一年生。
小学二年生。
小学三年生。
それぞれの、
担任の先生まで。
なぜか、
みんないた。
先生たちも。
料理を運んだり。
お酌をしたり。
いろいろと、
手伝っていた。
私も。
お皿を配ったり。
大人たちに、
お酌をして回った。
…………。
宴会である。
そして。
私たち三人には、
段ボールに入った
缶ジュースが
二ケース
あてがわれた。
普段なら
ジュースは、
コップ一杯まで。
そう、
決められていた。
ところが。
この日は。
おかわり、
自由。
…………。
これは、
嬉しい。
後になって聞いた。
そのジュースは、
おじさんと
四人のお友達が、
私たちのために、
買ってきてくれたもの
だったらしい。
そして。
悪天候のため。
船が一便、
欠航になった。
すると。
公民館から、
レーザーディスクの
カラオケが
引っ張り出された。
…………。
打ち上げが、
始まった。
もう一度、
言う。
平成時代、
初頭である。
おじさんと、
四人のお友達は。
私たちが作った
メダルを、
首から下げたまま。
島の料理を食べ。
お酒を飲み。
歌った。
『北酒場』。
『兄弟船』。
『ギザギザハートの子守唄』。
そして。
『2億4千万の瞳』。
最初は。
おじさんと、
四人のお友達。
それから。
二十代後半だった、
私たち三人の担任の先生。
校長先生。
教頭先生。
「億千万!」
そのうち。
私たちの家族も。
「億千万!」
…………。
そして。
いつの間にか。
私たち三人も、
一緒になって。
「億千万!」
と、
やっていた。
…………。
私は。
すぐに、
後悔した。
「元気だね!
君たちも、
歌いなよ!」
…………。
え〜。
しかし。
酔った大人
というものは
子どもの
「え〜」など
あまり、
聞いてはいない。
私たち、
「可愛いガイドさん三人組」も
小高いステージへ、
引っ張り出された。
曲は。
『おどるポンポコリン』。
…………。
逮捕が控えている身には、
甚だ、
陽気すぎる音楽であった。
しかし。
そんな気持ちは、
一瞬たりとも
チラリとさせることなく。
私たちは、
歌い上げた。
…………。
そして。
夕方。
島内放送が、
流れた。
最終便は、
運航するという。
宴会は、
お開きとなった。
公民館から、
船着場までは。
二百メートルほど。
みんなで、
歩いた。
区長さんも。
校長先生も。
教頭先生も。
担任の先生たちも。
私たちの家族も。
私たち三人も。
誰一人、
欠けなかった。
おじさんたちは、
最終便で帰る。
私たちは、
何も言わなかった。
ただ。
私は、
心の中で思った。
…………。
あ。
今日じゃないんだ。
連れて行かれるのは、
今日ではないらしい。
そして。
ずいぶん後になって。
あの日の話を、
三人でしたことがある。
そこで、
初めて知った。
小学一年生も。
小学三年生も。
同じことを、
考えていた。
…………。
三人とも。
今日ではないだけで。
いずれ、
連れて行かれるものだと
思っていたのである。
船着場で。
私たちは、
おじさんたちを見送った。
「また遊ぼうねー!」
私たちは、
手を振った。
おじさんたちも、
船から
手を振ってくれた。
汽笛が、
二回。
船は、
ゆっくりと
岸を離れていった。
私たちは。
小さくなっていく船を、
しばらく
見ていた。
…………。
それからも。
私は、
しばらくのあいだ。
逮捕される日を、
待っていた。
けれど。
なかなか、
警察は来なかった。
理由は、
なんとなく
わかっていた。
島へ来る船には、
パトカーが
乗らない。
そして。
我が家へ続く道は、
細く。
曲がりくねっている。
パトカーでは、
入って来られない。
…………。
きっと。
どうやって私を
逮捕するのか。
警察の人たちも、
考えているのだろう。
そう思っていた。
そういえば。
あの日、
私たちが滑っているところを
写真に撮っていた。
けれど。
その写真も、
送られてこなかった。
少し、
楽しみにしていた。
…………。
しかし。
これから逮捕する人間に、
わざわざ写真を現像して
送る義理など、
ないのだろう。
もしかすると、
もっと偉い人に
止められたのかもしれない。
…………。
なるほど。
一年ほど経った頃。
私は、
『白バイ』
というものを知った。
…………。
これなら。
船に、
乗る。
細い道も、
通れる。
…………。
来る。
私は、
再び
緊張した。
さらに。
ひとつ、
困ったことがあった。
白バイで、
連れて行かれる。
ということは、
近所の人たちから
顔が見える。
…………。
それは、
困る。
私は、
お祭りで買ってもらった
ミニーちゃんのお面を
思い出した。
あれを、
かぶって行けば…
顔は、
わからない。
ただ。
逮捕される人間が、
勝手にお面をかぶっても
よいのだろうか。
…………。
警察の人に、
聞いてみよう。
そう思った。
さらに、
時が経ち
私は、
ニュースで
少年事件というものを
よく目にするようになった。
どうやら。
子どもは、
大人とは少し
扱いが違うらしい。
名前も、
出ない。
ある日。
祖父と一緒に
ニュースを見ながら。
私は、
聞いた。
「なんで、
子どもは名前出ないの?」
祖父は、
言った。
「まだ子どもだから、
これではダメだって、
周りの大人が
根性叩き直すんだ〜」
「それで直っても、
オトナになって
逮捕がバレたら
働けねぇべ」
「そしたら、
また悪くなるから、
それを防いでるんだ」
…………。
祖父なりの、
説明だった。
私は、
少し考えて。
聞いた。
「じゃあ、
私、
逮捕されても
名前載らない?」
祖父は、
こちらを見た。
「載らねぇも何も、
小学生は
逮捕されねぇし」
「めぐが、
何で逮捕されんだ〜?」
「何が
いだずらしたんだが?」
「じいちゃんさ、
いってみろ?」
…………。
私は、
言った。
「昆布、
置きっぱなしで……」
「ケガした人が、
いる……」
…………。
祖父は。
しばらく、
私を見た。
そして。
「がっはっはっは〜!」
と、
笑った。
「めぐ〜!」
「んなちっこい頃のこと、
よく覚えてるな〜!」
「そんなんで、
なんで逮捕されんだ〜?」
…………。
中学生くらいに
なった頃。
私は、
別のことにも
気がつき始めた。
…………。
あれ?
あの日。
おじさんたちは、
本当に
海藻滑り選手権を
しに来たのだろうか。
高校生になる頃には。
だいたい、
わかっていた。
…………。
あれは。
海藻滑り選手権への
参加希望ではなかった。
…………。
現場の確認である。
おじさんのお友達も、
遊び仲間ではなかった。
…………。
刑事さんたちである。
さらに。
大人になってから。
父に、
聞いたことがある。
あの夜の一件は。
どうやら。
あれだけでは、
終わらなかったらしい。
あの出来事を
きっかけに。
当時、
警察が手を焼いていた人たちを
捕まえることにも、
つながったのだという。
ちなみに。
この一件を境に。
海藻滑り選手権が、
禁止されたのかというと。
そんなことも、
なかった。
「お。
今日もやってんのかぁ」
「ほれ。
切れっ端、
いるか?」
…………。
昆布。
どさっ。
大会は、
その後も
普通に開催された。
そして。
あの出来事のあと。
私たち三人の
じいちゃんや
ばあちゃんたちは、
なんとなく
以前にも増して、
私たちに
甘くなった。
もともと。
どこの家も、
孫をめんこがる
じいちゃん、
ばあちゃんだった。
それでも。
少し、
違った。
ずっと後。
私の、
成人式の日。
振袖姿の私を見て。
祖父も。
祖母も。
ぽろっと、
涙をこぼした。
そして、
二人で
あの日の話をした。
あの、
少しいかつい
警察のおじさんが。
私たちのことを。
「ああいう、
無邪気で無欲な子が
デカいことを
成し遂げるんだ」
「お幸せですね」
そんなふうに、
言ってくださったらしい。
祖父母は。
「オラたちは、
そんなふうに
言われたんだ」
と、
教えてくれた。
…………。
ちなみに。
それから、
ずいぶんと
長い年月が経ったが、
今のところ
これといって、
デカいことは
成し遂げていない。
…………。
おかしい。
…………。
だからだったのかな。
今となっては、
わからない。
ただ。
大人になった今。
時々、
思うことがある。
あの日。
どうして、
大人たちは、
あんなにも
優しかったのだろう。
親も。
先生も。
警察の人たちも。
そして。
普段から、
私たちをめんこがってくれた
島の
じいちゃんも
ばあちゃんも。
おっちゃんも。
おばちゃんも。
誰も、
私たちを責めなかった。
私たちは、
誰かを捕まえようと
したわけではない。
ただ。
昆布とめかぶで、
滑って遊んでいただけ。
それでも。
海とともに暮らす人たちにとって、
その海は、
暮らしそのものだった。
ずいぶんと、
トンチキな形では
あったけれど。
その大切なものが、
結果として
守られたことを。
大人たちは、
少し。
嬉しく。
そして、
ほんの少し
誇らしく
思ってくれていたのかも
しれない。
本当のところは、
わからない。
ただ。
あの日のことを
思い出すと。
怖かったことより。
大人たちが、
みんな優しかったことを、
よく覚えている。
あの日。
一緒に泣いた
二人とは。
今でも、
この話をすることがある。
小学一年生。
小学二年生。
小学三年生。
だった私たちは。
みんな、
すっかり
大人になった。
…………。
性格は。
あまり、
変わっていない。
あのときの、
警察のおじさん。
もう、
お仕事は
引退されている頃でしょうか。
泣きじゃくる私たちに、
優しくしてくださって。
島まで、
来てくださって。
私たちの
少し濡れた
手作りのメダルを。
最後まで、
首から下げてくださって。
ありがとうございました。
そして。
今さらではございますが。
ひとつだけ。
お伝えしたいことが
ございます。
あのとき。
おじさんがくださった、
あのケーキ。
私は。
死刑執行前の
最期のおやつだと、
思っておりました。
…………。
大変な、
誤解でございました。
そして。
もうひとつ。
昆布とめかぶは、
本当によく滑る。
これは。
今でも、
間違いない。
終
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五十路マダム仙台店(カサブランカグループ)
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