おはヨッシー٩( ‘ω’ )
و
先日の「カムチャツカ半島の大地震による津波警報」で、たつき諒さんの『私が見た未来』がまた話題になりましたね。
でもその裏で、もうひとつの「おしまい」が、静かに注目されていました。
新井素子さんの短編小説『おしまいの日』。 発表は1982年。 40年以上も前の物語なのに、今読むと不思議と胸にひっかかりまふ。
物語は、突然「世界が終わる」と宣言されるところから始まります。 だけどパニック映画のような展開はなくて、「わたし」と恋人が、ただ部屋でふつうに過ごす——それだけ。 外では暴動、ニュースでは混乱。
でもふたりは、おしゃべりしたり、うたた寝したり、笑ったり。 いつものように、ただ一緒にいる。
その空気が、とても穏やかで、でもちょっと切なくて。 胸の奥をじんわり温めたり、ひんやりさせたりするんです。 「おしまいの日」に取り乱すこともなく、 “誰かとふつうの時間を過ごす”ことの意味を描いていて、それがとても沁みまふ。
「世界が終わるとしたら、あなたは誰と過ごしますか?」
そんな問いかけが、静かに心に残りまふ。
今の世の中、いろんな情報や感情がザワザワしてるけど、 『おしまいの日』を読むと、 「おわり」って、案外こんなふうに静かにやってくるのかも…と思えてきまふ。
こういう穏やかな「終わりのかたち」も、そっと心に置いておきたくなりました。
ちなみにあの日、津波警報が出ていたにもかかわらず、 エリアを変えてまで会いに来てくださったリピ様たちとは、 外の情報をシャットアウトして、 いつもと変わらない「今ここにいるふたりの時間」を大切に過ごしました。
もし本当の「おしまいの日」だったら… たぶん私は、おうちでコーヒー飲みながら、 これまでのことをゆっくり振り返って、静かに終わりを迎えていたかも…と思いました。
むしろ「おしまいの日」がわかっていたら、 いろいろと…処分できるものもあるし(秘密のおもちゃやセクシーランジェリーや自撮り画像とかね♡) ムスコ殿たちのことも心配せずに済むから、意外と未練も少なくて済む気がしまふ(笑)
もちろん、理不尽な終わり方はイヤだけどね。
ってか、今朝、家で血圧測ったらバッチリだし。 (病院で測ったのは猛暑日に少し歩いた後だったから低かったのかも) 嵐のファンクラブの会員証も届いたし。
某動画講座も申し込んだし。
どんな終わり方であれ、まだまだ終わっていられないのだ〜☆
天に召されるのは、プレイ中だけで十分です٩( 'ω' )و←!?
ではでは。
今日もゴキゲンな1日を♫
よしえでした。
また明日♡