ハートムーン横手のブログ
首
こんばんは✨シズカです🎥
本日は大雪の中、お呼び下さった方、ありがとうございました😊
ワタクシ、先日の休暇中に、北野武最新作「首」を観てきました。
私……、この映画……
……大好きです😭!!
🎞以下、箇条書きですが感想です。
(ネタバレあり)
・信長が怖い。
・前評判では「戦国時代の『アウトレイジ』」と評す意見がありましたが、個人的には
戦国時代✕「アウトレイジ」✕「パルプ・フィクション」✕田亀源五郎(※1)
だと感じました。
あたいの好きなものしか詰まってないのよ😭
(※1 ゲイ ハードSM漫画の巨匠)
・好きな監督は、1にタランティーノ、2にロバート・ロドリゲスを挙げるワタクシ。
北野武は、日本のタランティーノだと思っています。北野武とタランティーノは、お互いを好きな監督として挙げているので、実際、通じるところがあるのでしょうね🤔
バイオレンスとジョーク、緊迫と弛緩のリズム感が似てるのよ。
北野&タランティーノ作品って、血生臭いんですけど、映像としてはスタイリッシュな所も共通点があると思います。
・パンフレット収録のインタビューでも、北野監督はタランティーノの「パルプ・フィクション」を引き合いに出していて、「首を中心に、何個ものドラマが同時進行する様子を撮りたかったんだ」と語っているのですが、これは和製「パルプ・フィクション」だと思って見ると、作品理解がしやすいかもしれません。
信長、光秀、秀吉、家康、各陣営。農民、武士、商人、芸人。様々な視点から、首を巡ったドラマが描かれるのですが、首とは何か。
ある者にとっては、立身出世への通行手形。ある者にとっては、愛した者にだけ、預けるに値する御印(ここらへん、マイラブ三島先生と森田必勝氏の最期を重ねてしまいます)。ある者にとっては、どうでもいい、ただの死体の切れ端。
武将も百姓も死んでしまえば、ただの首。その、ただの首に一喜一憂して駆けずり回る人間の愚かさを、暴力と笑いの力業でエンターテイメントに昇華している。
喜寿に手が届く年齢で、こんなにエネルギッシュな作品を撮ってしまう北野武は凄いよ。
・「バッファロー66」然り、「パルプ・フィクション」然り、「地獄の黙示録」然り。
頭一つ抜けた名作は、開始5分ですでに「あ、この映画、名作だ」と思い知らされる説得力があります。
冒頭、首、と言う一文字だけがスクリーンに映し出されます。
書家の柿沼康二氏による、この題字が素晴らしい。元々、漢字って象形文字ではあるのですが、柿沼氏の「首」は、斬首の瞬間そのものに見える。
こちらを向いて跪いて、斬られて、横に滑り、落ちる首。薙ぎ払った刀身に滴る血飛沫。そのものに見えるんですよ。
・戦国時代においては、衆道は武士の嗜みだったわけですが、人間関係の歪みや、行動の動機づけに衆道の愛憎を絡めてくるのは説得力があると思います。
信長が弥助を侍らせていた理由も、邪推してしまいますね🤔
タイトル通り、とにかく、斬首のオンパレードな本作なのですが、ワタクシは「サロメ」のヨカナーンを彷彿とし、「全てをチンコとマンコに結びつけるおじさん」こと、フロイトが提唱した、斬首のモチーフ=去勢不安説を思い出しました。
斬首=男性社会において、存在意義を失う恐怖のメタファーなんかなぁ、と思いつつ。
正直、三島文学と北野映画は、肉体を女体とする者である限り、理解に限界があるのかもなぁ……と思いました。
そういえば「サロメ」を執筆したオスカー・ワイルドもバイ・セクシャルだし。てか、三島先生もワイルドも男女云々、と言うより「美しい人」が好きなんだと思う。そう考えると、信長も、「武士の習いだから衆道に興じた人」ではなく、「自分の美意識や好奇心を刺激する人間を性別関係なく愛でた人」なのかもしれません。
・信長が怖い。ほんとにこの人、R1のCMの人なの……🥲?
・史実によると、本能寺の変の時点での年齢は、信長49歳、秀吉46歳。
一方、「首」のキャスティングは
信長(加瀬亮)49歳
秀吉(北野武)75歳
登場人物の年齢と剥離のあるキャスティングに否定的な意見があったようですが。
これはね、日本文化の「見立」で楽しむ映像作品だと思います。
日本人は、一の中に全を、全の中に一を見る民族です。
見立で有名なものは、砂と石だけで野山や河川の風景を表す枯山水ですが、狂言や落語の中でも一つの扇子を様々な道具に見立てる、男が女を演じ、若者が翁を演じる等、日本人はあらゆる芸事の中で、見立を活用してきた民族です。
見立とは何か。自分の想像力で補填する・拡げる、と言うことです。
・信長のパワハラに心を病んでか、信長と蘭丸のコスプレをさせた他人を夜な夜な惨殺する光秀がヤバい。
本能寺の変を決起するに至った動機が「第六天魔王だと思ったからこそ従ってきたが、自分の子の前では、ただの人だったか」と幻滅したから、と言う点も私は好きですね。
信長の理不尽の遠心力に振り回されながらも、心酔せずにはいられなかった光秀の心情が上手く表現されているシーンです。
・寺島進は何やってもカッコいいなぁ。なんかもう、後ろ姿や歩き方からしてカッコいいのよ。大森南朋も味があって、良い俳優さんですね。岸部一徳の利休居士もいい。岸部一徳は北野版「座頭市」での役も良かったんですが、今回もハマり役。ひたすら狡く情けなく、人間らしい中村獅童も、めちゃめちゃ良かったです。
・信長が怖い。と言うか、私はもはや、尾張弁すら怖い(加瀬亮の演技を絶賛しているだけです。尾張の言語や文化を否定しているわけではないので悪しからず)
・北野作品を象徴する大きな特徴が、生々しい痛みと、呆気ない死。生きている人間が感じる痛みの描写は容赦ないのに、訪れる死は、籠から転げた蜜柑のように、淡々と処理される。
マイラブ三島先生は「葉隠入門」にて
「死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じだということを『葉隠』は主張 している。我々は今日死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない」
と書いているのですが、今よりも、死がずっと身近にあった時代だからこそ、生への意地汚いほどの執着が、濃く匂う。いつ、殺し、殺されてもおかしくない状況だからこそ、炙り出される人間の本質。
ここらへん、北野監督は容赦なく描きますね。
・北野監督の出自がお笑い芸人だと言うこともあって、北野映画において「笑い」と言うのは重要なファクターです。
日本古来の笑いの文化、落語や狂言は、人間の業を笑うものです。人間らしい愚かしさ、失敗、滑稽を描いて、それを笑いに転換することで消化していく。
笑えない事柄を、笑うことによって、赦す。それが、純度の高い笑い。ユーモアの本来です。
北野映画の笑いは、純性の笑いです。
蝉の声が響く季節、死体の山に群がる蝿の羽音。切断された首の断面。臭いまで漂ってきそうな、これ以上ないくらいのリアリティと、膝カックンのように不意打ちで打ち込まれる笑いの対比。
死があるからこそ、生が躍動し、緊張があるからこそ笑いが生まれる。
正統派の戦国映画を求める人々にはオススメし難いですが、バイオレンス映画としても、お笑い映画としても快作だと思います。
・信長が怖い。
北野監督からは、信長を演じた加瀬亮に「イッちゃってる人ね」と役のイメージを説明したそうですが、加瀬信長はまさにキチguy(コンプラに配慮した表記にしています)。
劇中、一瞬、「これが素の信長では?」と思うシーンがあったのですが、誰よりも聡明で正気だったからこそ、狂った時代の中で、狂わずにはいられなかったのでは?と感じました。
本日は大雪の中、お呼び下さった方、ありがとうございました😊
ワタクシ、先日の休暇中に、北野武最新作「首」を観てきました。
私……、この映画……
……大好きです😭!!
🎞以下、箇条書きですが感想です。
(ネタバレあり)
・信長が怖い。
・前評判では「戦国時代の『アウトレイジ』」と評す意見がありましたが、個人的には
戦国時代✕「アウトレイジ」✕「パルプ・フィクション」✕田亀源五郎(※1)
だと感じました。
あたいの好きなものしか詰まってないのよ😭
(※1 ゲイ ハードSM漫画の巨匠)
・好きな監督は、1にタランティーノ、2にロバート・ロドリゲスを挙げるワタクシ。
北野武は、日本のタランティーノだと思っています。北野武とタランティーノは、お互いを好きな監督として挙げているので、実際、通じるところがあるのでしょうね🤔
バイオレンスとジョーク、緊迫と弛緩のリズム感が似てるのよ。
北野&タランティーノ作品って、血生臭いんですけど、映像としてはスタイリッシュな所も共通点があると思います。
・パンフレット収録のインタビューでも、北野監督はタランティーノの「パルプ・フィクション」を引き合いに出していて、「首を中心に、何個ものドラマが同時進行する様子を撮りたかったんだ」と語っているのですが、これは和製「パルプ・フィクション」だと思って見ると、作品理解がしやすいかもしれません。
信長、光秀、秀吉、家康、各陣営。農民、武士、商人、芸人。様々な視点から、首を巡ったドラマが描かれるのですが、首とは何か。
ある者にとっては、立身出世への通行手形。ある者にとっては、愛した者にだけ、預けるに値する御印(ここらへん、マイラブ三島先生と森田必勝氏の最期を重ねてしまいます)。ある者にとっては、どうでもいい、ただの死体の切れ端。
武将も百姓も死んでしまえば、ただの首。その、ただの首に一喜一憂して駆けずり回る人間の愚かさを、暴力と笑いの力業でエンターテイメントに昇華している。
喜寿に手が届く年齢で、こんなにエネルギッシュな作品を撮ってしまう北野武は凄いよ。
・「バッファロー66」然り、「パルプ・フィクション」然り、「地獄の黙示録」然り。
頭一つ抜けた名作は、開始5分ですでに「あ、この映画、名作だ」と思い知らされる説得力があります。
冒頭、首、と言う一文字だけがスクリーンに映し出されます。
書家の柿沼康二氏による、この題字が素晴らしい。元々、漢字って象形文字ではあるのですが、柿沼氏の「首」は、斬首の瞬間そのものに見える。
こちらを向いて跪いて、斬られて、横に滑り、落ちる首。薙ぎ払った刀身に滴る血飛沫。そのものに見えるんですよ。
・戦国時代においては、衆道は武士の嗜みだったわけですが、人間関係の歪みや、行動の動機づけに衆道の愛憎を絡めてくるのは説得力があると思います。
信長が弥助を侍らせていた理由も、邪推してしまいますね🤔
タイトル通り、とにかく、斬首のオンパレードな本作なのですが、ワタクシは「サロメ」のヨカナーンを彷彿とし、「全てをチンコとマンコに結びつけるおじさん」こと、フロイトが提唱した、斬首のモチーフ=去勢不安説を思い出しました。
斬首=男性社会において、存在意義を失う恐怖のメタファーなんかなぁ、と思いつつ。
正直、三島文学と北野映画は、肉体を女体とする者である限り、理解に限界があるのかもなぁ……と思いました。
そういえば「サロメ」を執筆したオスカー・ワイルドもバイ・セクシャルだし。てか、三島先生もワイルドも男女云々、と言うより「美しい人」が好きなんだと思う。そう考えると、信長も、「武士の習いだから衆道に興じた人」ではなく、「自分の美意識や好奇心を刺激する人間を性別関係なく愛でた人」なのかもしれません。
・信長が怖い。ほんとにこの人、R1のCMの人なの……🥲?
・史実によると、本能寺の変の時点での年齢は、信長49歳、秀吉46歳。
一方、「首」のキャスティングは
信長(加瀬亮)49歳
秀吉(北野武)75歳
登場人物の年齢と剥離のあるキャスティングに否定的な意見があったようですが。
これはね、日本文化の「見立」で楽しむ映像作品だと思います。
日本人は、一の中に全を、全の中に一を見る民族です。
見立で有名なものは、砂と石だけで野山や河川の風景を表す枯山水ですが、狂言や落語の中でも一つの扇子を様々な道具に見立てる、男が女を演じ、若者が翁を演じる等、日本人はあらゆる芸事の中で、見立を活用してきた民族です。
見立とは何か。自分の想像力で補填する・拡げる、と言うことです。
・信長のパワハラに心を病んでか、信長と蘭丸のコスプレをさせた他人を夜な夜な惨殺する光秀がヤバい。
本能寺の変を決起するに至った動機が「第六天魔王だと思ったからこそ従ってきたが、自分の子の前では、ただの人だったか」と幻滅したから、と言う点も私は好きですね。
信長の理不尽の遠心力に振り回されながらも、心酔せずにはいられなかった光秀の心情が上手く表現されているシーンです。
・寺島進は何やってもカッコいいなぁ。なんかもう、後ろ姿や歩き方からしてカッコいいのよ。大森南朋も味があって、良い俳優さんですね。岸部一徳の利休居士もいい。岸部一徳は北野版「座頭市」での役も良かったんですが、今回もハマり役。ひたすら狡く情けなく、人間らしい中村獅童も、めちゃめちゃ良かったです。
・信長が怖い。と言うか、私はもはや、尾張弁すら怖い(加瀬亮の演技を絶賛しているだけです。尾張の言語や文化を否定しているわけではないので悪しからず)
・北野作品を象徴する大きな特徴が、生々しい痛みと、呆気ない死。生きている人間が感じる痛みの描写は容赦ないのに、訪れる死は、籠から転げた蜜柑のように、淡々と処理される。
マイラブ三島先生は「葉隠入門」にて
「死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じだということを『葉隠』は主張 している。我々は今日死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない」
と書いているのですが、今よりも、死がずっと身近にあった時代だからこそ、生への意地汚いほどの執着が、濃く匂う。いつ、殺し、殺されてもおかしくない状況だからこそ、炙り出される人間の本質。
ここらへん、北野監督は容赦なく描きますね。
・北野監督の出自がお笑い芸人だと言うこともあって、北野映画において「笑い」と言うのは重要なファクターです。
日本古来の笑いの文化、落語や狂言は、人間の業を笑うものです。人間らしい愚かしさ、失敗、滑稽を描いて、それを笑いに転換することで消化していく。
笑えない事柄を、笑うことによって、赦す。それが、純度の高い笑い。ユーモアの本来です。
北野映画の笑いは、純性の笑いです。
蝉の声が響く季節、死体の山に群がる蝿の羽音。切断された首の断面。臭いまで漂ってきそうな、これ以上ないくらいのリアリティと、膝カックンのように不意打ちで打ち込まれる笑いの対比。
死があるからこそ、生が躍動し、緊張があるからこそ笑いが生まれる。
正統派の戦国映画を求める人々にはオススメし難いですが、バイオレンス映画としても、お笑い映画としても快作だと思います。
・信長が怖い。
北野監督からは、信長を演じた加瀬亮に「イッちゃってる人ね」と役のイメージを説明したそうですが、加瀬信長はまさにキチguy(コンプラに配慮した表記にしています)。
劇中、一瞬、「これが素の信長では?」と思うシーンがあったのですが、誰よりも聡明で正気だったからこそ、狂った時代の中で、狂わずにはいられなかったのでは?と感じました。
14:00から出勤します
アロマQ&A「肩こり腰痛に悩んでるわけじゃないんだけどマッサージ受けてもいいの?」
こんばんは✨シズカです⛄
本日も一緒に過ごして下さった皆さん、ありがとうございます😊
🔔定期的なお知らせです🔔
ご指名下さった方への無料オプションで、各種マッサージの施術を行っています。
所要時間の目安は
✋オイル使用のマッサージ(無香料可)だと
30分~
✋オイル無しのマッサージだと
ハンドマッサージ・ヘッドマッサージ各10分~
です。
プレイに使いたいお時間+マッサージに使いたいお時間で、コース時間を決めて頂ければ、と思います。
マッサージに必要なセットは、基本装備として常に持ち歩いておりますので、受付時以外でも
「思ってたより、ちょっと時間が余っちゃったな🤔」
「一回イッたらグッタリしちゃった💦」
となった時に、直接私にお声がけ頂いて大丈夫ですよ✨
・
・
・
おかげさまで、アロママッサージをリクエストして下さるお客様が増えてきており、ありがたい限りです。興味を持って下さった皆さん、ありがとうございます✨
この場を借りて、よく聞かれる質問にお答えしたいと思います🤓
💡アロマQ&A💡
👤「肩こり腰痛に悩んでるわけじゃないんだけどマッサージ受けてもいいの?」
大丈夫です。大歓迎です。
世の中、マッサージ、と一言に言っても様々な種類がありますよね。
大きく二分すると
✋リラクゼーション目的
✋治療目的
に分けられます。
皆さんに理解して頂きやすいように、いつもは「マッサージ」と言う言葉を使用してご説明していますが、アロマオイルを用いた手技は正式には「アロマトリートメント」と呼ばれています。
アロマトリートメントは
🍀心身のケアやリラクゼーション、健康の促進
を目的とした行為です。
筋肉の張り、老廃物のデトックス、など肉体疲労に対してのアプローチも目的としていますが、リラックス、ストレスの軽減など、精神的な疲労に対してのアプローチも同じくらい重要視しています。
人は、他者とスキンシップをするとオキシトシンと言うホルモンが分泌されます。
別名:愛情ホルモンや絆ホルモンとも呼ばれるオキシトシン。
オキシトシンには、抗ストレス作用や抗うつ作用があり、ストレスを減らし、血圧を下げる等の働きがあります。
オキシトシンは、性的興奮と深く結びついているホルモンでもあります。オキシトシンによって男性は男性ホルモン(テストステロン)が、女性は女性ホルモン(エストロゲン)が増加します。
「やましい気持ちはなくても、マッサージを受けていると、ついつい、股間のクラッシャー・バンバン・ビガロが反応してしまう……」
「エロい部分じゃなくても、マッサージされると、ついつい、股間のバーニング・ハンマーがエメラルド・フロウジョンしそうになっちゃう……」
と言うのも、オキシトシンの分泌により男性ホルモン量が増加、男性ホルモンが増加すると性的興奮も促される、と言う、風が吹けば桶屋が儲かる方式の人体の生理現象、なわけです。
アロマテラピーは、比較的、歴史の新しい療法ではありますが、三大伝統医学である東洋医学・インド医学・ユナニ医学に通じる人体の捉え方をします。
それは「ホリスティック(全体的)に人体を捉える」と言う点。
「病」と言う点に対して対処するのではなく、病と言う結果をもたらす背景に対してケアを行っていく点です。
✋病が発現してからではなく、心身の状態が病に傾かないようにケアする。
✋異常が発現している箇所だけ、ではなく、一人一人の生活習慣、遺伝体質、暮らしている気候や風土の性質、と言った全体像を見てケアする。
と言うところに重きを置く考え方なんですね。
以上を踏まえまして。
「現在進行形で、肉体の痛みに悩んでいる」と言うわけではなくても、アロマトリートメントを受けて頂くのは大歓迎ですし、アロマが心身に及ぼすメリットは多々ありますよ☺️
本日も一緒に過ごして下さった皆さん、ありがとうございます😊
🔔定期的なお知らせです🔔
ご指名下さった方への無料オプションで、各種マッサージの施術を行っています。
所要時間の目安は
✋オイル使用のマッサージ(無香料可)だと
30分~
✋オイル無しのマッサージだと
ハンドマッサージ・ヘッドマッサージ各10分~
です。
プレイに使いたいお時間+マッサージに使いたいお時間で、コース時間を決めて頂ければ、と思います。
マッサージに必要なセットは、基本装備として常に持ち歩いておりますので、受付時以外でも
「思ってたより、ちょっと時間が余っちゃったな🤔」
「一回イッたらグッタリしちゃった💦」
となった時に、直接私にお声がけ頂いて大丈夫ですよ✨
・
・
・
おかげさまで、アロママッサージをリクエストして下さるお客様が増えてきており、ありがたい限りです。興味を持って下さった皆さん、ありがとうございます✨
この場を借りて、よく聞かれる質問にお答えしたいと思います🤓
💡アロマQ&A💡
👤「肩こり腰痛に悩んでるわけじゃないんだけどマッサージ受けてもいいの?」
大丈夫です。大歓迎です。
世の中、マッサージ、と一言に言っても様々な種類がありますよね。
大きく二分すると
✋リラクゼーション目的
✋治療目的
に分けられます。
皆さんに理解して頂きやすいように、いつもは「マッサージ」と言う言葉を使用してご説明していますが、アロマオイルを用いた手技は正式には「アロマトリートメント」と呼ばれています。
アロマトリートメントは
🍀心身のケアやリラクゼーション、健康の促進
を目的とした行為です。
筋肉の張り、老廃物のデトックス、など肉体疲労に対してのアプローチも目的としていますが、リラックス、ストレスの軽減など、精神的な疲労に対してのアプローチも同じくらい重要視しています。
人は、他者とスキンシップをするとオキシトシンと言うホルモンが分泌されます。
別名:愛情ホルモンや絆ホルモンとも呼ばれるオキシトシン。
オキシトシンには、抗ストレス作用や抗うつ作用があり、ストレスを減らし、血圧を下げる等の働きがあります。
オキシトシンは、性的興奮と深く結びついているホルモンでもあります。オキシトシンによって男性は男性ホルモン(テストステロン)が、女性は女性ホルモン(エストロゲン)が増加します。
「やましい気持ちはなくても、マッサージを受けていると、ついつい、股間のクラッシャー・バンバン・ビガロが反応してしまう……」
「エロい部分じゃなくても、マッサージされると、ついつい、股間のバーニング・ハンマーがエメラルド・フロウジョンしそうになっちゃう……」
と言うのも、オキシトシンの分泌により男性ホルモン量が増加、男性ホルモンが増加すると性的興奮も促される、と言う、風が吹けば桶屋が儲かる方式の人体の生理現象、なわけです。
アロマテラピーは、比較的、歴史の新しい療法ではありますが、三大伝統医学である東洋医学・インド医学・ユナニ医学に通じる人体の捉え方をします。
それは「ホリスティック(全体的)に人体を捉える」と言う点。
「病」と言う点に対して対処するのではなく、病と言う結果をもたらす背景に対してケアを行っていく点です。
✋病が発現してからではなく、心身の状態が病に傾かないようにケアする。
✋異常が発現している箇所だけ、ではなく、一人一人の生活習慣、遺伝体質、暮らしている気候や風土の性質、と言った全体像を見てケアする。
と言うところに重きを置く考え方なんですね。
以上を踏まえまして。
「現在進行形で、肉体の痛みに悩んでいる」と言うわけではなくても、アロマトリートメントを受けて頂くのは大歓迎ですし、アロマが心身に及ぼすメリットは多々ありますよ☺️
14:00から出勤します
睾丸マッサージはじめました
こんばんは✨シズカです🌙
本日も、一緒に過ごして下さった皆さん、ありがとうございました😊
🔔定期的なお知らせです🔔
マッサージオプションの新メニューとして睾丸マッサージはじめました。
・100分コース以上のご指名限定
・別途オプション料金はなし
で、ご案内可能です。
受付時に言って頂いても大丈夫ですが、「男性相手だからこそ、ED関連の話は言い辛い」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
マッサージに必要なセットは、基本装備として常に持ち歩いておりますので、お会いしてから直接、私にお申し付け頂いても大丈夫です✨
以下、睾丸マッサージについて、上がりそうな疑問にお答えしてみましたので、お目通し頂けると嬉しいです😊
🥇睾丸マッサージってどういうことをするの?🥇
睾丸マッサージ=睾丸のみのマッサージではありません。
・下半身全体の血行を良くして、男性器に血液を集める。
・体をリラックス状態(副交感神経優位)にする。
と言う点が重要なので、ふくらはぎ〜腰、鼠径部リンパなど下半身を全体的にマッサージして、最後に睾丸周辺をもみほぐす、と言う手順になります。
🥇どうして100分コースからなの?🥇
前述のように、睾丸マッサージは、ある程度の時間を要して、下半身全体をマッサージするものです。ショートコースで「ちょっと試しにタマだけ揉んでみる」と言う形では効果を実感して頂くのは難しいかと思います。
よって、100分以上のコースでご指名の方限定とさせて頂きます。
⏰タイムテーブル例(100分コース)⏰
前後のシャワー時間 20分(10分×2)
睾丸マッサージ所要時間 60分
プレイに使える時間 20分〜
と言う内訳になります。
プレイに使いたい時間は、人それぞれですので、いつも自分がデリを使っている時間に、マッサージ時間の60分をプラスする形で考えて頂ければ、だいたいの目安になるかと思います。
🥇絶対に勃起できるの?🥇
睾丸マッサージ=必ず勃起すると言うものではありません。
男性機能のコンディションは、生活習慣や運動習慣、既往歴(糖尿病や高血圧など)にも大きく左右されます。
あくまでも「勃起しやすい状態に、身体を整える」と言うニュアンスで捉えて頂ければ、よろしいかと思います。
🥇EDじゃないと受けても意味がないの?🥇
EDに悩んでいる方以外にも、睾丸マッサージには
・腰痛緩和
・肝機能改善
・自律神経調整
・射精量増加
などの作用がある、と言われています。
下半身全体のリンパ・血流を改善するので、勃起機能改善以外にも様々なメリットがありますよ。
本日も、一緒に過ごして下さった皆さん、ありがとうございました😊
🔔定期的なお知らせです🔔
マッサージオプションの新メニューとして睾丸マッサージはじめました。
・100分コース以上のご指名限定
・別途オプション料金はなし
で、ご案内可能です。
受付時に言って頂いても大丈夫ですが、「男性相手だからこそ、ED関連の話は言い辛い」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
マッサージに必要なセットは、基本装備として常に持ち歩いておりますので、お会いしてから直接、私にお申し付け頂いても大丈夫です✨
以下、睾丸マッサージについて、上がりそうな疑問にお答えしてみましたので、お目通し頂けると嬉しいです😊
🥇睾丸マッサージってどういうことをするの?🥇
睾丸マッサージ=睾丸のみのマッサージではありません。
・下半身全体の血行を良くして、男性器に血液を集める。
・体をリラックス状態(副交感神経優位)にする。
と言う点が重要なので、ふくらはぎ〜腰、鼠径部リンパなど下半身を全体的にマッサージして、最後に睾丸周辺をもみほぐす、と言う手順になります。
🥇どうして100分コースからなの?🥇
前述のように、睾丸マッサージは、ある程度の時間を要して、下半身全体をマッサージするものです。ショートコースで「ちょっと試しにタマだけ揉んでみる」と言う形では効果を実感して頂くのは難しいかと思います。
よって、100分以上のコースでご指名の方限定とさせて頂きます。
⏰タイムテーブル例(100分コース)⏰
前後のシャワー時間 20分(10分×2)
睾丸マッサージ所要時間 60分
プレイに使える時間 20分〜
と言う内訳になります。
プレイに使いたい時間は、人それぞれですので、いつも自分がデリを使っている時間に、マッサージ時間の60分をプラスする形で考えて頂ければ、だいたいの目安になるかと思います。
🥇絶対に勃起できるの?🥇
睾丸マッサージ=必ず勃起すると言うものではありません。
男性機能のコンディションは、生活習慣や運動習慣、既往歴(糖尿病や高血圧など)にも大きく左右されます。
あくまでも「勃起しやすい状態に、身体を整える」と言うニュアンスで捉えて頂ければ、よろしいかと思います。
🥇EDじゃないと受けても意味がないの?🥇
EDに悩んでいる方以外にも、睾丸マッサージには
・腰痛緩和
・肝機能改善
・自律神経調整
・射精量増加
などの作用がある、と言われています。
下半身全体のリンパ・血流を改善するので、勃起機能改善以外にも様々なメリットがありますよ。
今日からまた出勤します
明日からまた出勤します
こんばんは!
みなさんこんばんはひなです🌟
ついに雪降りましたね😭
ブーツに防水スプレーするのを忘れて
足がぐちゃぐちゃになってしまいました😭🌀
そんな天気も道路状況も悪い中、
今週もみなさんありがとうございました🧸💓
初の週末日中出勤で、お久しぶりの方と
再開もできて嬉しかったです(´∩。• ᵕ •。∩`)💓
旅行🛩のお話や、
アレルギー辛いよね😣のお話など、
楽しい時間をありがとうございました🥰
来週はいつも通り、
火曜と木曜の出勤予定です😌
お会いできるの
楽しみにしてます(◍•ᴗ•◍)❤
憂国忌
こんばんは✨シズカです😊
本日は、私が敬愛してやまない三島由紀夫先生の命日、憂国忌。先生を偲んで、厳かに過ごしています。
「三島由紀夫って、何がどのようにすごいんですか?」
「三島由紀夫って、何で自決したんですか?」
と聞かれることが度々ありますので、あくまでも、私が感じる三島文学の魅力について、ですが、筆を取ろうと思います。
一言で言うと、文章が美しい。数いる文豪の中で、最も美しい日本語を書くのが、三島先生だと思っています。
ただし、その美しさが特異な美しさである、と言う点に三島文学が唯一無二の金閣寺として、文学史上に聳え立つ理由があります。
三島文学の大きな特徴及び魅力は
🇯🇵逆説的なアプローチの完璧さ
🇯🇵相反的な概念を一体化させた時に生じる美しさ
🇯🇵日本人のイデオロギーを補完しようとする気高さ
にあります。
三島先生は自伝的な作品「仮面の告白」の冒頭に、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」からの一節を序文として掲げています。
「美―――美という奴は恐ろしいおっかないもんだよ!つまり、杓子定規に決める事が出来ないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。
美の中では両方の岸が一つに出合って、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。俺は無教育だけれど、この事は随分考え抜いたものだ。実に神秘は無限だなあ!
この地球の上では、ずいぶん沢山の謎が人間を苦しめているよ。この謎が解けたら、それは濡れずに水の中から出てくるようなものだ。ああ美か!その上俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々聖母(マドンナ)の理想を抱いて踏み出しながら、結局悪行(ソドム)の理想を持って終わるという事なんだ。いや、まだまだ恐ろしい事がある。
つまり悪行(ソドム)の理想を心に懐いている人間が、同時に聖母(マドンナ)の理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや、実に人間の心は広い、あまりに広すぎるくらいだ。俺は出来ることなら少し縮めてみたいよ。
ええ、畜生、何が何だかわかりゃしない、本当に!理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体、悪行(ソドム)の中に美があるのかしらん?」
(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」)
「仮面の告白」自体が、三島先生の性癖・美意識を形成した経緯の独白のようなものなのですが、この序文もまた、三島由紀夫と言う作家の美に対するスタンスを象徴しています。
私は、三島先生の文章を拝読するたび、カラヴァッジオの「ナルキッソス」を思い出します。
湖面に映る自分を見つめるナルキッソスが、シンメトリーに描かれた作品です。汚辱と悪行の中の美、純潔と聖性の中の淫らさ。見つめる自分と見られる自分。
私は、父の趣味が日本刀の収集だったため、日本刀=美術品として捉えている部分が大きいのですが、本来、日本刀は武器であるため、姿形の美しさは必要ないんです。機能美さえあればいい。
「美は無駄にこそ宿る」と言います。極論ですが、文化や芸術なんてものも、言ってしまえば、無駄の極みです。ヒトが生き物として生きるのには必要ありません。しかし、ヒトが人間らしく生きるためには欠かせないものです。
無駄の美と実用の美。相反する美を併せ持つ日本刀は、美術品の形態として、一つの最高峰に達しているのです。
本来ならば、両立が難しい美しさを両立している。三島文学の美しさは、まさに、日本刀のような美しさ、水の中で燃える火のような美しさを湛えている、と言えます。
美文で知られる文豪は数多くいます。端正、と言う美しさなら、夏目漱石、志賀直哉。耽美、と言う美しさなら、川端康成、泉鏡花ですが、三島先生の文章には、端正と耽美どちらも在る。
先生は「現代ヨーロッパの思想家で最も親近感を持つのはバタイユだ」とした上で、このように語っています。
「彼(バタイユ)は死とエロティシズムとのもっとも深い類縁関係を説いているんです。その言うところは、禁止というものがあり、そこから解放された日常があり、日本民俗学で言えば晴(はれ)と褻(け)というものがあって、そういうもの—晴がなければ褻もないし、褻がなければ晴もないのに、つまり現代生活というものは相対主義のなかで営まれるから、褻だけに、日常性だけになってしまった。そこからは超絶的なものが出てこない。超絶的なものがない限り、エロティシズムというものは存在できないんだ。エロティシズムは超絶的なものにふれるときに、初めて真価を発揮するんだとバタイユはこう考えているんです」
美とエロティシズム、は三島文学を味わう上で重要なテーマです。生き物の中で、美を感じるのは人間だけ。一方のエロスは、最も動物的な欲求です。ここにもまた、相反する概念の一体化、相対化されて生じる概念、と言う三島文学のキーワードが見えますね。
また、先生は晴(非日常・公的・聖)と褻(日常・私的・俗)と言う感覚にも言及しています。神道概念における和魂と荒魂もそうですが、この両面的な価値観もまた、とても日本人的な感性です。
精神と肉体、性と死、公と私。政治的思想と文化概念。この相反する要素に両側から引っ張られて、磔刑になる姿。それが三島文学における「美」です。
「美」と言う漢字は、生贄に使われた、大きくて立派な羊の姿を元にした、と言います。
三島先生は、自決の一週間前に受けたインタビューにて、このように語っています。
「僕の内面には美、エロティシズム、死というものが一本の線をなしている。美、エロティシズム、死という図式は、最高の秩序、絶対者の中にしかエロティシズムはない。エロティシズムと名のつく以上は、体を張って死にいたるまで快楽を要求する、と言うこと」
三島先生は陽明学にも傾倒されていて、行動と実行の文士でありました。
著書「行動学入門」の中の「行動の美」にて先生は以下のように書いています。
「男の美が悲劇性にしかないことが確実なのは、行動というものが最終的には命を賭ける瞬間にだけ煮つめられるということと関係している。男の知性と肉体のうち、知性が命を賭けることはきわめてまれであるから、知性が美に達することはほとんど考えられない」
知性の権化のような三島先生に「知性が美に達することはない」と断言されると凄味がありますね。三島先生はご自身の肉体に対して深刻なコンプレックスを抱えていた方です。その反動から肥大した知性と、肉体への肥大した憧憬を抱えていたと言う前提を踏まえて、読み解くべきではありますが。このあたりの、知性と肉体の相克も、三島文学のロマンではあります。
先生はきっと、形而上で美とエロティシズムを仰ぐだけでは満たされず、自らの肉体を用いて、自らを貫き、絶対者の胴裏として自らを縫いつけるに至った。
「我、傷口にして刃。生贄にして刑吏。引き裂かれる四肢にして、処刑の車輪。血を奪われる心臓にして、吸血鬼」と書いたボードレールを彷彿とします。
私は、三島由紀夫自体が、平岡公威(※1)が創り出した作品だと捉えています。
自衛隊駐屯地での自決にも、前述した晴と褻の側面があると考えます。
日本人が日本人としての美徳を失うことに対する警鐘、国を憂うデモンストレーションが、晴の面。
平岡公威が想い描いた究極の美とエロティシズムに対して、己を刃とし、己を献体したのが、褻の面。
平岡公威は、最期の最期に、完璧なシンメトリーを成す聖セバスチャン像(※2)として三島由紀夫を完成させたのだ、と解釈しています。
(※1 三島由紀夫の本名)
(※2 「仮面の告白」の中に「グイド・レーニ画の『聖セバスチャンの殉教』を見て、13歳で初めて射精した」と告白する下りがある。後に、自らを聖セバスチャンとした写真作品を篠山紀信に撮影させている。)
本日は、私が敬愛してやまない三島由紀夫先生の命日、憂国忌。先生を偲んで、厳かに過ごしています。
「三島由紀夫って、何がどのようにすごいんですか?」
「三島由紀夫って、何で自決したんですか?」
と聞かれることが度々ありますので、あくまでも、私が感じる三島文学の魅力について、ですが、筆を取ろうと思います。
一言で言うと、文章が美しい。数いる文豪の中で、最も美しい日本語を書くのが、三島先生だと思っています。
ただし、その美しさが特異な美しさである、と言う点に三島文学が唯一無二の金閣寺として、文学史上に聳え立つ理由があります。
三島文学の大きな特徴及び魅力は
🇯🇵逆説的なアプローチの完璧さ
🇯🇵相反的な概念を一体化させた時に生じる美しさ
🇯🇵日本人のイデオロギーを補完しようとする気高さ
にあります。
三島先生は自伝的な作品「仮面の告白」の冒頭に、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」からの一節を序文として掲げています。
「美―――美という奴は恐ろしいおっかないもんだよ!つまり、杓子定規に決める事が出来ないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。
美の中では両方の岸が一つに出合って、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。俺は無教育だけれど、この事は随分考え抜いたものだ。実に神秘は無限だなあ!
この地球の上では、ずいぶん沢山の謎が人間を苦しめているよ。この謎が解けたら、それは濡れずに水の中から出てくるようなものだ。ああ美か!その上俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々聖母(マドンナ)の理想を抱いて踏み出しながら、結局悪行(ソドム)の理想を持って終わるという事なんだ。いや、まだまだ恐ろしい事がある。
つまり悪行(ソドム)の理想を心に懐いている人間が、同時に聖母(マドンナ)の理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや、実に人間の心は広い、あまりに広すぎるくらいだ。俺は出来ることなら少し縮めてみたいよ。
ええ、畜生、何が何だかわかりゃしない、本当に!理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体、悪行(ソドム)の中に美があるのかしらん?」
(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」)
「仮面の告白」自体が、三島先生の性癖・美意識を形成した経緯の独白のようなものなのですが、この序文もまた、三島由紀夫と言う作家の美に対するスタンスを象徴しています。
私は、三島先生の文章を拝読するたび、カラヴァッジオの「ナルキッソス」を思い出します。
湖面に映る自分を見つめるナルキッソスが、シンメトリーに描かれた作品です。汚辱と悪行の中の美、純潔と聖性の中の淫らさ。見つめる自分と見られる自分。
私は、父の趣味が日本刀の収集だったため、日本刀=美術品として捉えている部分が大きいのですが、本来、日本刀は武器であるため、姿形の美しさは必要ないんです。機能美さえあればいい。
「美は無駄にこそ宿る」と言います。極論ですが、文化や芸術なんてものも、言ってしまえば、無駄の極みです。ヒトが生き物として生きるのには必要ありません。しかし、ヒトが人間らしく生きるためには欠かせないものです。
無駄の美と実用の美。相反する美を併せ持つ日本刀は、美術品の形態として、一つの最高峰に達しているのです。
本来ならば、両立が難しい美しさを両立している。三島文学の美しさは、まさに、日本刀のような美しさ、水の中で燃える火のような美しさを湛えている、と言えます。
美文で知られる文豪は数多くいます。端正、と言う美しさなら、夏目漱石、志賀直哉。耽美、と言う美しさなら、川端康成、泉鏡花ですが、三島先生の文章には、端正と耽美どちらも在る。
先生は「現代ヨーロッパの思想家で最も親近感を持つのはバタイユだ」とした上で、このように語っています。
「彼(バタイユ)は死とエロティシズムとのもっとも深い類縁関係を説いているんです。その言うところは、禁止というものがあり、そこから解放された日常があり、日本民俗学で言えば晴(はれ)と褻(け)というものがあって、そういうもの—晴がなければ褻もないし、褻がなければ晴もないのに、つまり現代生活というものは相対主義のなかで営まれるから、褻だけに、日常性だけになってしまった。そこからは超絶的なものが出てこない。超絶的なものがない限り、エロティシズムというものは存在できないんだ。エロティシズムは超絶的なものにふれるときに、初めて真価を発揮するんだとバタイユはこう考えているんです」
美とエロティシズム、は三島文学を味わう上で重要なテーマです。生き物の中で、美を感じるのは人間だけ。一方のエロスは、最も動物的な欲求です。ここにもまた、相反する概念の一体化、相対化されて生じる概念、と言う三島文学のキーワードが見えますね。
また、先生は晴(非日常・公的・聖)と褻(日常・私的・俗)と言う感覚にも言及しています。神道概念における和魂と荒魂もそうですが、この両面的な価値観もまた、とても日本人的な感性です。
精神と肉体、性と死、公と私。政治的思想と文化概念。この相反する要素に両側から引っ張られて、磔刑になる姿。それが三島文学における「美」です。
「美」と言う漢字は、生贄に使われた、大きくて立派な羊の姿を元にした、と言います。
三島先生は、自決の一週間前に受けたインタビューにて、このように語っています。
「僕の内面には美、エロティシズム、死というものが一本の線をなしている。美、エロティシズム、死という図式は、最高の秩序、絶対者の中にしかエロティシズムはない。エロティシズムと名のつく以上は、体を張って死にいたるまで快楽を要求する、と言うこと」
三島先生は陽明学にも傾倒されていて、行動と実行の文士でありました。
著書「行動学入門」の中の「行動の美」にて先生は以下のように書いています。
「男の美が悲劇性にしかないことが確実なのは、行動というものが最終的には命を賭ける瞬間にだけ煮つめられるということと関係している。男の知性と肉体のうち、知性が命を賭けることはきわめてまれであるから、知性が美に達することはほとんど考えられない」
知性の権化のような三島先生に「知性が美に達することはない」と断言されると凄味がありますね。三島先生はご自身の肉体に対して深刻なコンプレックスを抱えていた方です。その反動から肥大した知性と、肉体への肥大した憧憬を抱えていたと言う前提を踏まえて、読み解くべきではありますが。このあたりの、知性と肉体の相克も、三島文学のロマンではあります。
先生はきっと、形而上で美とエロティシズムを仰ぐだけでは満たされず、自らの肉体を用いて、自らを貫き、絶対者の胴裏として自らを縫いつけるに至った。
「我、傷口にして刃。生贄にして刑吏。引き裂かれる四肢にして、処刑の車輪。血を奪われる心臓にして、吸血鬼」と書いたボードレールを彷彿とします。
私は、三島由紀夫自体が、平岡公威(※1)が創り出した作品だと捉えています。
自衛隊駐屯地での自決にも、前述した晴と褻の側面があると考えます。
日本人が日本人としての美徳を失うことに対する警鐘、国を憂うデモンストレーションが、晴の面。
平岡公威が想い描いた究極の美とエロティシズムに対して、己を刃とし、己を献体したのが、褻の面。
平岡公威は、最期の最期に、完璧なシンメトリーを成す聖セバスチャン像(※2)として三島由紀夫を完成させたのだ、と解釈しています。
(※1 三島由紀夫の本名)
(※2 「仮面の告白」の中に「グイド・レーニ画の『聖セバスチャンの殉教』を見て、13歳で初めて射精した」と告白する下りがある。後に、自らを聖セバスチャンとした写真作品を篠山紀信に撮影させている。)












