シズカンヌ映画祭 自己肯定感がアガる映画部門 最優秀作品賞
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こんばんは。シズカンヌ映画祭、たった一人の審査員シズカンヌです🎥
私の大好きな映画の一つ「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」。
自己肯定感を激アゲにしてくれる作品でもあります。
そもそも、自己肯定感とは何ぞや。
「自分には欠点がない、完璧だ、優れている、と慢心すること」ではありません。
ダメな部分も含めて、ありのままの自分をそのまま認めること、です。そして、あわよくば、それすら楽しんで生きること、です。
「欠点=欠かせない点」のマインドで生きる姿勢です。
弱さやみっともなさ、至らなさ。自分で自分のお荷物を、ちゃんと請け負って生きていく覚悟です。
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「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」は、性別適合手術に失敗して、股間に手術跡のケロイドの盛り上がりだけが残ったロック・シンガーが、自分の半生を歌う……というロック・ミュージカルです。
プラトンの「饗宴」を題材に
「昔、人間は手脚が4本ずつ、顔が2つの球体だった
2人で一つの完全な存在だった
けれど、完璧なあまり驕り高ぶった人間は神々の逆鱗に触れ、体を2つに引き裂かれた
もう一度、元に戻ろうとするのが愛の起源」
と歌われる「Origin of love」の美しさ。
自分のまま生きていると何もかもが上手くいかないから、お気に入りのウィッグをつけて、メイクアップして、自分ではないスターになりきって夜を乗り切る「Wig in the box」。
自分の欠落を埋めてくれる片割れを探し求め、ズタズタのボロボロになった果てに
「空の上には空気以外何もない
神秘的なデザインもなければ
運命で結ばれた恋人もいない」
「太陽もハリケーンも雨も曇り空も
全部、自分の中にある」
と気づく「Wicked Little Town」。
それを受け入れ全肯定する「Midnight Radio」。
これは、
不完全な自分を補完しようとして、さらにズタズタにされ、より大きな喪失感を抱えて生きることになる
↓
自分の欠落を補完してくれる片割れを探す
↓
そんなものは存在しないと思い知る
↓
欠陥だらけ、ツギハギだらけの自分こそが完全体だと受け入れる
という、魂の遍歴の物語なのです。
二本足で目が二つのクリーチャー、太陽の子にも月の子にも地球の子にもなれない自分を受け入れたヘドウィグが、グラム・メイク、グラム・ファッションの武装を解除して、産まれたての偶蹄目のように歩き出すラストシーンが本当に美しい。
そして、この「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」、楽曲のレベルが異常に高くてですね、一つのバンドのオリジナル・アルバムとしても通しで聴けるくらいなのよ。
ワタクシは、オフ・ブロードウェイ版のアルバムまで購入して愛聴していました。
私は社会不適合者だけど、だからこそ、良さがわかる音楽や映画がある、と思っています。
カフカの「変身」を西岡兄妹が漫画化した際、グレゴール・ザムザが「この身になったからこそ、音楽がこんなに染み入るのか」と涙する演出が加えられていた記憶がありますが、まさに、そんな気分。
ルー・リードやトム・ウェイツやニール・ヤング、ブコウスキーやギンズバーグのカッコ良さに共鳴できない人生を、私は選ばない。
「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」の素晴らしさがわかるから、私は、この人生で良かった。そう思わせてくれる作品です。
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🖊️余談
「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」、本邦でも、何度か舞台化されているんですが、女王蜂のアヴちゃんがイツハク(ヘドウィグのパートナー)を演じた際には、正直、「え、アヴちゃんはイツハクよりヘドウィグでしょ」と思いました。
アヴちゃんがヘドウィグ演ってくれてたら、ちょっと突き抜けた舞台になると思うんだけどな。
私の大好きな映画の一つ「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」。
自己肯定感を激アゲにしてくれる作品でもあります。
そもそも、自己肯定感とは何ぞや。
「自分には欠点がない、完璧だ、優れている、と慢心すること」ではありません。
ダメな部分も含めて、ありのままの自分をそのまま認めること、です。そして、あわよくば、それすら楽しんで生きること、です。
「欠点=欠かせない点」のマインドで生きる姿勢です。
弱さやみっともなさ、至らなさ。自分で自分のお荷物を、ちゃんと請け負って生きていく覚悟です。
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「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」は、性別適合手術に失敗して、股間に手術跡のケロイドの盛り上がりだけが残ったロック・シンガーが、自分の半生を歌う……というロック・ミュージカルです。
プラトンの「饗宴」を題材に
「昔、人間は手脚が4本ずつ、顔が2つの球体だった
2人で一つの完全な存在だった
けれど、完璧なあまり驕り高ぶった人間は神々の逆鱗に触れ、体を2つに引き裂かれた
もう一度、元に戻ろうとするのが愛の起源」
と歌われる「Origin of love」の美しさ。
自分のまま生きていると何もかもが上手くいかないから、お気に入りのウィッグをつけて、メイクアップして、自分ではないスターになりきって夜を乗り切る「Wig in the box」。
自分の欠落を埋めてくれる片割れを探し求め、ズタズタのボロボロになった果てに
「空の上には空気以外何もない
神秘的なデザインもなければ
運命で結ばれた恋人もいない」
「太陽もハリケーンも雨も曇り空も
全部、自分の中にある」
と気づく「Wicked Little Town」。
それを受け入れ全肯定する「Midnight Radio」。
これは、
不完全な自分を補完しようとして、さらにズタズタにされ、より大きな喪失感を抱えて生きることになる
↓
自分の欠落を補完してくれる片割れを探す
↓
そんなものは存在しないと思い知る
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欠陥だらけ、ツギハギだらけの自分こそが完全体だと受け入れる
という、魂の遍歴の物語なのです。
二本足で目が二つのクリーチャー、太陽の子にも月の子にも地球の子にもなれない自分を受け入れたヘドウィグが、グラム・メイク、グラム・ファッションの武装を解除して、産まれたての偶蹄目のように歩き出すラストシーンが本当に美しい。
そして、この「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」、楽曲のレベルが異常に高くてですね、一つのバンドのオリジナル・アルバムとしても通しで聴けるくらいなのよ。
ワタクシは、オフ・ブロードウェイ版のアルバムまで購入して愛聴していました。
私は社会不適合者だけど、だからこそ、良さがわかる音楽や映画がある、と思っています。
カフカの「変身」を西岡兄妹が漫画化した際、グレゴール・ザムザが「この身になったからこそ、音楽がこんなに染み入るのか」と涙する演出が加えられていた記憶がありますが、まさに、そんな気分。
ルー・リードやトム・ウェイツやニール・ヤング、ブコウスキーやギンズバーグのカッコ良さに共鳴できない人生を、私は選ばない。
「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」の素晴らしさがわかるから、私は、この人生で良かった。そう思わせてくれる作品です。
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🖊️余談
「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」、本邦でも、何度か舞台化されているんですが、女王蜂のアヴちゃんがイツハク(ヘドウィグのパートナー)を演じた際には、正直、「え、アヴちゃんはイツハクよりヘドウィグでしょ」と思いました。
アヴちゃんがヘドウィグ演ってくれてたら、ちょっと突き抜けた舞台になると思うんだけどな。